あわや四面楚歌?
それはまだ、出発してからさほど経っていないときであった。
連中は、おれたちを追ってきた。そして、追いつかれつつある。
場所は、現代でいうところの大阪市内、蒲生という地名のあたりである。
四、五名が向かってくる。二本差しで、頭に笠をかぶっていないことから、あきらかに追っ手とみうけられる。笠は、旅装だけでなく相貌を隠すのためにつかったりするが、連中にはそれも必要ないというわけなのであろう。
まちぶせるという気長な対処ではなく、追ってくるというストレートな方法。
相棒が高っ鼻になった。途端に警戒モードで追っ手たちのほうへと黒い毛に覆われた体を向けた。こちらが風下、流れてきた人間の臭気のなかに、嗅いだことのある臭いがあるのだ。
それで、追っ手たちの正体がしれた。
「どうやら、あのなかに見廻組の今井さんがいるようですよ」
さきをあるく山崎と斎藤に声をかける。
「見廻組か・・・。くそっ、新撰組とはしられたくないな・・・」
山崎は、不意に立ち止まった。それから、背後にひろがる薄暗闇に瞳をこらす。
下弦の月がなげかける光は、ずいぶんと明るく感じられる。
四つか五つの影は、かなりの速度で迫ってくる。追いつかれるのも時間の問題かと思われる。
「ならば、闇討ちしてしまおう。そのほうが後腐れない」
月明かりの下、菅笠の下の斎藤の白い歯は、まぶしいくらいである。
「連中は殺気だっている。こちらだってそれなりの覚悟をもたねば殺られる」
山崎は、斎藤の提案にしばし、天を仰いで瞑目する。
「できるか、斎藤?」
それから、覚悟を決めたように瞼を開け、それを斎藤へと向ける。
「・・・」
斎藤は指先で菅笠をあげ、山崎をみつめる。
「それが、わたしの新撰組での仕事だ。できない、ということは考えぬ。殺る。ただそれだけだ」
そして、にやりと笑う。
かっこいい・・・。ぞくぞくする。これが、明治になっても戦いつづけた斎藤という剣士なのだ、とつくづく実感する。
男前すぎる、とも。
「旦那方っ!」
先行していた鳶と仙助が、息せききって戻ってきた。そのかれらのうしろから、これもまた複数の人影が追ってくる。しかも、駕籠までみえる。
「すこしさきに、極道がおりました」
仙助が報告すると、山崎は再度、瞳を天に向ける。
「四面楚歌ってやつですね、山崎先生?」
やけ気味でいう。なにゆえか、笑いがこみあげてくる。
斎藤も含めた三人だけで、鳶と仙助を護ることすらできないであろう。
「新撰組の・・・」
小柄なのでみえていなかったが、仙助の背後に旅装姿の男が立っている。菅笠の下の頬の傷が、生々しく浮かび上がっている。
「危急なんで、ご無礼は容赦願います。そっちの兄さんは、祭りで会いやしたね」
小柄な男は、菅笠を指先であげ、相貌をあらわにする。
「ああ、あのときの・・・。会津の大親分のところの・・・」
おれはその相貌にみ覚えがある。頬の傷が目立っているから。
「事情は、二人からきいてやす。ここはあっしらに任せ、旦那方はおゆきなせぇ・・・」
「ありがたい。会津の大親分も?」
山崎もまた、侠客たちとの付き合いはある。思いつめた表情が明るくなったのは、なにも月の明かりの加減だけではない。
「あれはどうやら、見廻組の者のようだ。ご心配なく。見廻組は、組に借りがありやす。さあ、はやく・・・」
心配げな表情をしていたのであろう。小柄な極道は、そういってからにんまりと笑う。
その極道を残し、こちらに向かってくる駕籠のほうへとあゆむ。