いざ京へ
三十石舟を使うことはあきらめた。
さきほどの目明しらは、土佐藩の息のかかった連中であろう。グラバーの身辺警護役はお間抜けだが、それとはべつに見張りがいたようだ。
訪問したおれたちのことが、よほど気になるであろう。
紹介状を書いてくれた三野村にゆきつくのも時間の問題である。もっとも、先方はおれたちのことを商人だと思い込んでいる。直接会ったわけでもない。それ以上の詮索は無理なはず。
だが、おれたちのことを調べるのにそんなまわりくどい方法をとる必要はない。
直接きけばいいのだから・・・。
早朝をまたずして、大坂を発つことにする。
京街道をつかい、京へ戻ろうというのである。
京橋の国道一号線を守口までゆき、そこから京都守口線をつかう。
もちろん、それはずっと未来のルート。幕末は、京街道をひたすらあるく。
京橋から淀川左岸、文禄堤を進む。
文禄堤は、秀吉が毛利一族に命じて作らせたものだ。
淀川の氾濫を防ぐため、というのが最大の目的である。その目的は達成され、おおいに役に立ってくれている。
だが、それは秀吉が毛利一族を警戒し、その勢いをそぐ為の口実にちがいない。
それは兎も角、その名残は現代でも残っている。守口あたりでみることもできる。おれも京阪電車のなかから幾度もそれをみ、すごいなと感心したものだ。
そこをすぎ、淀を経由して京へ。淀は京都競馬場のあるところである。くどいようだが、この頃にはまだない。たしか、競馬場は大正期にできたのだったと記憶している。
隠れ家には、トラベルグッズを常備している。
股引をはき、合羽を羽織る。脛には脚絆を、掌には手甲を装着する。足許は足袋と草鞋でかため、頭には菅笠をかぶる。
おれの面倒は、山崎がみてくれた。往路は三十石舟をつかったので、おれにとってこれがはじめての旅装である。
山崎は、監察方の任務で旅もおおい。ずいぶんと手馴れている。
提灯は、一つだけ準備した。念のため、である。鳶と仙助が、懐中付木を懐に忍ばせる。
得物は、柄袋で覆って背に負う。
ふと、幕末にきたときのことを思いだした。
結局、「之定」を覆っていたビニール袋と相棒のリードは、みつからなかった。
やはり、もとの場所に残っているのであろう。
「連中の頭がよければ、船着場と街道に人を配しているだろう。ひっ捕まえて吐かせるほうが、てっとりばやいだろうからな」
隠れ家をでる直前、山崎がいう。
陽はとっくの昔に暮れている。隠れ家のせまい玄関先で灯火はなく、ちいさな明り取りから月光が射し込んでいる。おたがいの表情が、かろうじてよめる。
「でくわしたら?殺っていいのかな?」
斎藤である。菅笠の下で、白い歯がみえる。
「だめだだめだ」
山崎は、斎藤の提案にまたしてもだめだしする。まぁ、当然のことである。
「峰打ちという手段を、しらぬのか?」
山崎が呆れたようにたしなめると、菅笠が右に左に傾く。
「性にあわぬ」
また、白い歯がみえる。
「まことに呆れたやつだ、おぬしは・・・」
山崎は嘆息する。
山崎は頭脳面で、斎藤は剣で、副長の子飼いとしておおいに働いている。
「だが、承知した。あんたに従う。それが、副長の為になるのなら」
またまた、白い歯がみえた。
「斎藤、いざとなったら、わたしと主計は自身の身を護れる。仙助と鳶を護るのだ。主計も、よいな?」
部外者であり、妻子のいる仙助と鳶になにかあっては、ということだ。
「承知」
斎藤とともに了承する。
仙助と鳶の、驚いた表情をみながら・・・。
「出発だ。朝までには戻るぞ」
山崎の号令で、おれたちは大坂を発った。
めざすは京、おれたちの屯所である。