英語の必要性と愛想
『英語がうまいんだな。留学したのか?』
突然、グラバーが尋ねてきた。
なんてこった・・・。
語学力について言及してくるとは、想定していなかった。
現代でネイティブと英語で会話をしたとしても、「ふーん」くらいにしか思われないであろう。
日本に観光にくる外国人のおおくは、日本のどこでも英語が通じると勘違いしている。
だが、ここではちがう。坂本はべつにしても、京の町なかで英語を喋る日本人はいない。
まず、接する機会がない。さらには、学べるところがない。いや、それ以前に、その必要性がない。逆に、そんな気を起こそうものなら、いらぬ疑いがかかってしまう。そして、かりに喋れるとしても、それを披露している間に攘夷志士が飛びだしてきて斬られかねない。
『ヨコハマで、アメリカ船やイギリス船の下働きをしていました』
自分でも突っ込みどころ満載の答えだと思いながら、そう答える。
横浜は、安政の大獄の際に開港した港である。長崎とちがって幕末ころは、どの国も商売にしろ経由地につかうにしろ、まだまだ重要視していなかった。
正直、どこの異国船が、どのくらいの数寄港したかもわからない。
とりあえずは、横浜を開港させたペリー率いるアメリカは寄ったであろう。そして、イギリスもまたアメリカに負けじと、ぼちぼち寄港したはずである。
『ヨコハマ?ああ、あそこはいまからのところでしょうね?エドにもちかいですし』
グラバーがうなづくたびに、カイゼル髭がぴょこぴょこ動く。それを眺めつつ、英語が話せることで歴史的に有名なスコットランド人商人と、幕末の大坂で横浜や江戸について話をすることになるとは、とつくづく不思議に思う。
グラバーは、アラサーと記憶している。
なんて落ち着いてみえるんだ・・・。そんなどうでもいいことまで考えてしまう。
『ですが、港自体まだまだ整備中ですし、寄港する異国船もさほどおおいわけではありません。おっしゃるとおり、あそこはこれから栄えもするかもしれません。ですが、もしかするとまた閉ざされるやもしれません。すべては、これからのことに左右されるかと・・・』
まるでみてきたかのように語ると、グラバーは苦笑している。
商売につながる話をしたことで、かれの緊張や警戒心がわずかでも解かれたようである。
『ワオ!オオカミ?それは日本のオオカミかね?』
グラバーが、おれの足許の相棒を指差す。
そのタイミングで、左の人差し指を相棒の瞳のまえで二度振る。
相棒の尻尾が、庭の土を盛大に掃く。愛想のいいわんちゃん、である。
訓練所に、お偉いさんやその他もろもろのVIPが見学にくることがある。それでなくとも、強面で愛想のない犬種である。かわいらしくて愛想のいい犬種と違い、みた目だけで見学者のご機嫌を損ねてしまうかもしれない。そこで、人差し指を二度振ることで、尻尾を盛大に振るよう訓練したのである。もちろん、これは捜査や探索の際に必要なスキルではないが、かわいいわんちゃんっぽくみせる必要があるときには、なによりも効果的な策である。
『このオオカミにまつわるいいことを教えてあげますよ、ミスター・グラバー。そのかわり、あなたもわたしに情報をください』
そういってから、ウインクする。もちろん、BL系の意味でではない。念のため・・・。