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財閥からの紹介状

 おまささんの父上と兄上は、なかなかのやり手である。

 まぁ御家人株を買っているくらいだ。ぬかりのない商売人といえば、そうなのであろう。

 かれらは、大坂でも幅広く商いをしている。その伝手で、三野村利左衛門みのむらりざえもんを紹介してもらった。


 三野村は、あの三井財閥の中興の祖ともいえる人物である。幕府、具体的には幕府の勘定奉行小栗忠順おぐりただまさと三井とのパイプ役を務めた男である。

 そして、この幕末期に小栗が失脚すると、かれは幕府にではなく新政府軍に資金提供をするというはっしっこさもある。いや、時勢をよくよむ、といったほうがクールであろうか。


 その三野村に会うことはかなわなかったが、目的のものは入手することができた。


 それは、大坂にきているトーマス・グラバーに会う為の紹介状である。


 その紹介状を掌に、いま、大坂にいる。

 おれと相棒、山崎に斎藤、そして、目明しの鳶に元極道やくざの蕎麦屋の仙助。古巣に戻るには危険なので反対したが、道案内は必要だということでかれはついてきてくれた。


 トーマス・グラバーは、土佐藩の大坂蔵屋敷のすぐちかくの宿屋にいる。


 藩邸内にいなくてよかった、と思わざるをえない。

 土佐藩、つまりは岩崎弥太郎と繋がりがあるというわけである。もっとも、商売相手としての繋がりであろうが。


 大阪市西区にある大阪市立図書館のすぐちかくに、「土佐稲荷神社」がある。土佐藩大坂蔵屋敷はそこにあった。そう、稲荷神社の敷地内にあったわけではなく、土佐藩大坂蔵屋敷の敷地内にそれがあったのだ。


 まだ学生だった時分ころ、調べたい文献が大阪市立図書館の書庫にあったので、大阪在住の友人といったことがある。そのとき、神社があったのでぶらりと立ち寄ったが、まさかそれが土佐藩所縁の神社だったとは、当時はまったくしらなかった。


 土佐藩の蔵屋敷はなくなったが、その稲荷神社だけは、岩崎弥太郎が護りきったという。

 商売人は信心深い。だからこそ、財を成し、基を築けるのかもしれない。


 残念ながら、幕末いま、その稲荷神社を拝むことはできない。土佐藩と幕府は表立って敵対しているわけではないが、新撰組がぶらりと立ち寄れるような場所ではない。


 おれたちは、その土佐藩蔵屋敷を横目に通り過ぎ、目的の家屋のまえまでやってきた。


「旦那方が異人さんと会ってらっしゃる間に、あっしと仙助さんとでこの辺りを探ってまいりやす」


 鳶が控えめに申しでてくれた。鳶は、「所用で」と本職を休んでの参加である。もちろん、無給、つまり、ボランティアだ。


 が、鳶と小六の二人の目明しと仙助には、その日当を副長が融通するという。副長のポケットマネーから。三人とも妻子がいる。もちろん、養わなければならない。日銭稼ぎのかれらの無給は、即家計に響くことはいうまでもない。

 副長は、それをわかっている。


「仙助さん・・」


 いいいかけると、仙助は口のまえに指を一本立て、にんまりと笑う。指が四本しかないほうの掌をひらひらさせ、さもなんでもないようにいう。


「ぬかりはありません。このあたりは知り尽くしております。いい情報をもってきますよ」


 それから、鳶と二人で身軽に去っていった。


「さあ、異人さんに会いにゆきますか」


 その背を見送ってから、連れにいう。

 

あの・・トーマス・グラバーに会いにゆくのだ。

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