嵐を呼ぶ男と胡散臭い男
その夜、松吉の父親がこっそり屯所を訪ねてきた。
道場をつかわせてほしい、という。ついでに、手合せも、と。
ほぼ同時刻、斎藤も潜伏先からこっそり戻ってきた。体を動かしたい、という。
この深更、新撰組の道場に集まった剣士のレベルは、この時代の水準をはるかに上回っている者ばかり。錚々たる、という言葉がぴったりである。
松吉の父親は、現役時代の練習道着や袴を捨てずに取っていたのだろう。屯所に持参した。
それは、まだつかえるから、着れるから取っていたという理由であるはずがない。そう、そうであるはずがない。
妻子や怪我の為にという理由で、きっぱりと捨てられるものであろうか。柳生藩の代々つづく高弟の家系ならば、朝起きて夜眠るのとおなじように、剣術そのものが日常だっただろう。それをすぐに捨てたり、ましてや忘れられるわけもない。そう、捨てたり忘れたりできるわけはない。
部外者である松吉の父親が屯所の道場にいても、さして違和感はない。むしろ、撃剣師範の一人といっても自然に受け入れられる。松吉の父親は、そう錯覚を抱かせるほど貫禄がある。
同心のときの黒の紋付袴姿のときには、柔和で知的なお役人といった感じである。その雰囲気は、それこそ天と地ほどの差がある。
まさしく、「必殺仕事人」。そこに、「金ではかえぬ恨みを果たす」、昼行燈の同心をみたような気がする。
いっぽう、道場にいるのが不自然かつ違和感ありありなのが、副長である。部外者の松吉の父親には、普通に挨拶したおれたちも、そこに副長がいることに驚き、ついで「なぜ」と尋ねてしまった。歯に衣を着せぬ永倉や原田などは、「なんの用だ?」やら「なにするつもりだ?」と、胡散臭そうな視線とともに問う始末。
まさか道場で書類仕事をしたり、寝たり食べたりするわけもないのに・・・。
もちろん、副長も練習用の道着と袴を、一応は身に着けている。
「中村殿、無刀取りをみせてくださいよ」
松吉の父親は、あつかましいリクエストにさして気を悪くすることなく、笑って了承してくれた。
「拙技にすぎませぬが・・・」
謙虚である。
「永倉殿、わたしに打ち込んでいただけますか?」
「承知した」
永倉は、道場の隅に立て掛けてある木刀を取りにゆこうとする。
「いえ、いつもの刃挽きした刀でかまいませぬ」
松吉から話をきいたのであろう。松吉の父親は、永倉が左掌に握る練習用の刀を指さす。
「だが、これも・・・」
永倉はそういいかけ、途中で口をつぐむ。それから、無言のまま左掌の刀の柄に右のそれを添え、そのまま正眼の構えをとる。
おれたちは邪魔にならぬよう、二人から距離をおく。
「神道無念流、ですね・・・」
松吉の父親は、無掌のままそれを両脇へたらし、永倉に相対する。
構えをみただけで、いいあてるとは・・・。
「遠慮は無用です。頭頂からばっさり斬るつもりできてください」
松吉の父親がそういったが、永倉はなかなか動かない。まるでその場に釘付けにでもされているかのように、正眼の構えのまま微動だにせぬ。
そして、松吉の父親も動かない。だが、こちらは両腕をだらりと下げたまま、力みも緊張もなく、ただだらーっとしているようにしかみえない。すくなくとも、そのようにうかがえる。
「新八のやつは、いったいなにやってやがる?」
左隣りで、副長がつぶやいた。一応、練習に参加するつもり、の副長がだである。
「うごがねぁーのではなぐ、うごげねぁーのだ」
右隣りで、吉村がつぶやいた。が、もちろん、その内容はわからない。だれもわからなかったのか、そのあとはだれもなにもつぶやかない。
そのとき、松吉の父親がかすかに微笑んだ。その瞬間、永倉がようやく動いた。
つまり、刀を振り上げつつ間を詰めると、神速の真っ向斬りを放ったのである。