左之助と歴史的大事件
「左之、馬鹿は死ななきゃなおらねぇってしってるか、ええっ?一回、切腹してみるか?」
「おうっ、そうさな!つぎは縦に斬り裂いて、十文字にしてもいいわな?」
原田は、着物のあわせから両腕をあらわにすると、さっと脱いで上半身をみせる。中間のときにこさえた切腹未遂の傷跡を掌でさする。
とてもうれしそうである。
原田だったら、死んでも馬鹿はなおらないんじゃないのか?そもそも、死ぬこともないのではないのか?、とさえ思う。
原田は、この後に江戸でおこる上野の戦で死んだ、ということになっている。が、かれもまた、ほかのおおくの歴史上の有名人たちとおなじで生存説がある。
満州で馬賊になったという、万人がよろこびそうな義侠心と冒険心あるれる説だ。後年、伊予に帰郷した、というおまけの説までついている。
その説、あたりかもしれない。原田だったら、馬賊だろうが山賊だろうが海賊だろうが、ふつーにやりそうである。
「副長、副長、どうか落ち着いてください」
鬼をなだめるのは、冷静かつ有能な鬼を崇拝する監察方の一人である。冷え切った声音に、副長の噴火はギリ不発におわる。
「副長、いまのお話ですが、原田先生の鞘は、なにかよからぬことにでも使われるということでしょうか?」
「というか、新撰組の不利益になるようなことですな?」
さすがは監察方の二人。山崎、それから島田が尋ねる。
「ああ、でなきゃ鞘なんぞ、なんの使い道がある?主計、おめぇ、いうことがあるだろう?ちがうか?」
副長の瞳が、おれのそれを射る。
濃く深い瞳・・・。そこに、またしても違和感を覚える。なにかがひっかかる。
「原田先生の鞘をもっているのは、見廻組にちがいありません。かれらは、それをさるところに放置するのです」
「なんだそりゃ?あのいけすかない佐々木らは、いったいなんでそんなわけのわからんことをするってんだ?」
永倉である。さすがのかれも、自分でいいながら居心地のわるい思いをしている。緊張を解こうととでもいうかのように、屈強な上半身をわずかに揺らす。
火鉢の中で、炭の爆ぜる音がする。
「暗殺事件の現場に、それが残されます。そのせいで、その暗殺をおこなったのが、新撰組であると疑われます」
わざと過去形をつかう。そうすることで、ここにいる全員に、遠い未来にまでそのことが伝えられているということがわかるはず。
「暗殺?土方さん、おれにそんなこと命じるのか?大石や斎藤ではなく、おれに?」
原田の当惑は、スルーされる。
「くそっ、見廻組が殺って、おれたちに疑いがかかるってか?」
永倉が罵り、山崎と島田はたがいの相貌をみ合わせている。どちらも当惑している。
「正確には、見廻組が実行犯という説が有力です。そして、そこでみつかった鞘が原田先生のものだと、なにゆえかおねぇが証言しています」
「はぁ?おかしいな・・・。おれは、おねぇの部屋にいったときにはいつも無腰だった。邪魔になるからな・・・。うーん、一度たりともなかったはずだ・・・。おれの鞘など、みせたこともみられたこともないはずだが・・・。ああ、もしかして、あの夜のことか・・・?」
原田の自問自答に、おれだけでなく全員が心中で驚いたはず。
が、この場の空気をよむ。それから、相手にしたら面倒臭いと判断する。さらには、ある意味怖すぎる。したがって、スルーにかぎる。
「しかも、まことしやかに暗殺犯が「こなくそっ!」と叫んだ、というおまけまでついています。その方言が、伊予出身の原田先生に間違いない、と」
「ああ?こなくそ?そうだな、たしかにおれはよくつかうな。なにかってたら、つかってら。ならば、やはりおれなんだ、それを殺ったの」
この事件は、信長の「本能寺の変」と同様歴史的ミステリーである。しかも、真相ははっきりとわかっていない。そんな大事件である。
が、実際はまだ起こっていない。それを、うんうんとうなづき肯定するばかりか、自供までしてのける原田左之助・・・。
そして、それもまたスルーされる。
「坂本か?坂本なんだな?」
副長の断定。また瞳があう。かすかにうなづいてみせる。
「口唇を閉じてやがれっ!てめぇは、頼むからだまっててくれ、左之っ!」
せっかくのシリアスな場面も、副長の怒鳴り声で喜劇と化す。
原田が、へらへら笑いながら口を開こうとしたのである。
その内容は、きくまでもなく容易に想像できる。