局長参戦!
「いったい、なにごとだ?門が閉まっていたので、門番に問いただしたら、永倉組長に「門を閉めた上で、逃さぬよう見張ってろ」と命じられております、と申すではないか?曲者でも入り込んだか?」
翌朝、出勤してきた局長が、庭をかけずりまわっているおれたちのところにやってきた。
準備に、おおわらわのタイミングである。
昨夜の残り湯を、ありったけの桶をかき集め、それで庭に運んだ。
それから、その湯をおおきな盥に注ぎ、溜めた。
準備は、着々とすすんでいる。
「おはようございます、局長。申し訳ございません、お騒がせしまして」
しゃがんで盥に掌を突っ込み、風呂の残り湯の温度をたしかめていたが、そう声をかけられたので、立ちあがって局長に挨拶と詫びを入れた。
たすき掛けし、着物の裾をたくし上げ、じつにみっともない恰好である。
局長は、そう思ったとしても、そこはさすがに新撰組をまとめる、カリスマ局長だけはある。眉を顰めたり、眉間に皺を寄せたり、ふきだしたり、冷笑したりすることなく、ただ一つ頷いただけである。
「祭りか、主計?」
そこもさすが、新撰組をまとめる天然局長だけはある。じつに独創的な問いではないか。
まぁたしかに、それっぽい恰好ではあるか・・・。
「いいえ、局長。新撰組でお世話になってから、相棒を一度も洗ってませんでしたので、真冬になるまえに一度洗っておこうかと」
おれの答えに、局長は瞳を白黒させる。
「な、なんと、犬を洗うのか?なにゆえだ?」
ああ、そうか。この時代、犬や猫を洗う、という感覚はないか。人間ですら、風呂に毎日入るという習慣が定着しているわけではない。
「蚤やダニが血を吸うことにより、貧血を起こしたり、皮膚炎や感染症をひきおこすことがあります。そのため、定期的に洗ってやったり、ブラッシング、いえ、櫛ですいてやったり、ということが必要なのです」
「それは、驚きだ・・・」
局長は、えらのはった相貌に、驚きの表情をつくる。
「飼い犬や猫を、金を払って洗ってもらう飼い主もいますよ、局長」
さらに告げると、局長は「まことか?それはすごい」とか、「かような商いがあるのか」とか、いちいち驚く。
じつに素直で、しかも表現力が半端ない。
これなら、どんなことをいってもころっと信じ、靡きそうである。
局長がいろんな人物から話をきき、傾倒したり支持したりした、ということが頷ける。
「おーい主計、もってきたぞ」
局長がしきりに感心していると、原田と林がやってきた。二人とも、おおきな風呂敷包みをいくつも背負ったり抱えたりしている。
「局長、めずらしいな。こんなところで油うってていいのか?それはそうと、主計、おまさに話をしたら、ありったけの手拭を用意してくれた。あ、櫛ももらってきた。あと、これも・・・」
原田は、風呂敷包みを一つ、林におしつけて片方の掌をあけると、それを懐に突っ込み、なかからなにかをとりだす。
懐からでてきたは、ちいさな紙製の箱である。
「異人が風呂に入るときに、使うもんだそうだ。あってもどうせ使わねぇから、よかったら使ってくれってよ」
さしだされた箱を受け取り、開けてみる。
かすかに、ツンとするにおいがする。
「石鹸じゃないですか・・・」
箱から、その固形物をとりだす。
現代とはにおいも形も色もずいぶんちがうが、たしかに石鹸である。
石鹸が庶民に普及するのは、たしか明治になってからだったはず。
「高価なものでしょう?使えませんよ」
固辞しておく。いくら実家が商家といっても、こんな高価なもの、犬に使うわけにはいかない。
「かまわねぇよ。そのにおいがだめなんだそうだ。糠のほうが、よほどいいっていってな」
そこまでいわれれば、ありがたく使わせてもらうしかない。
「よしっ!今日は他出がない。わたしも手伝うぞ、主計」
「そんな、局長に手伝っていただくなど・・・」
やる気まんまんの局長を、止める術はない。