集団面接
おねぇ一行、もとい、御陵衛士たちは、「角屋」の座敷でまっていた。
二十畳ほどの広間である。おねぇが上座に座し、藤堂とほか三人の男たちが、下座に座っている。
メンバーがわかっていたので、おねぇの実弟の鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納鷲雄であることはわかっている。
が、名前はわかっていても、顔と名前が一致するわけもない。
鈴木と加納については、たしかウイキペディアに写真がでていたと思う。年をとってからの写真である。篠原にいたっては、写真すらない。ただ、篠原は、おねぇも含めたほかのメンバーより年長のはず。ということは、日に焼け、皺の数のおおいこの男が篠原、であろうか?膝の上に置かれた掌の甲へと、さりげなく視線をはしらせる。分厚くない。全体的におおきい。そして、胸板に筋肉がついているのが、着物をとおしてでもわかる。柔術家である篠原にちがいない。
残る二人は、どっちもどっちでみわけがっつかない。鈴木が、おねぇに似てくれていれば、判別できたであろう。
父親似と母親似とに、わかれたんであろうか。
かれらのまえで正座しながら、そうとはわからぬよう藤堂へと視線をはしらせる。かれも、おれをみる。
「伊東先生、お招き、ありがとうございます」
井上が挨拶する。
時候の挨拶からはじまり、おねぇや御陵衛士たちのご機嫌伺い、ついで最近の様子、社会の情勢、クッションがわりに、どうでもいいささやかな出来事などが澱みなくでてくる。
さすがは接待大将。井上なら、大企業の接待どころか、外務省で国外からの貴賓の接待も任せられそうだ。言葉ができれば、の話しだが・・・。
「土方は、先生からの心のこもった文に、たいそう感銘を受けています。そのなかのご依頼の返答につきましては、相馬君がいたします」
感銘をうけすぎた副長は、その文をくしゃくしゃに丸めて燃やしたかもしれない・・・。井上の言葉をききながら、可笑しくなってしまう。
「ご希望どおり、今宵は藤堂君に同伴してもらいました」
おねぇは、高台寺の月光の下と負けず劣らず、灯火のなかでも艶かしく輝いてみえる。この夜も、ここにくるまえに、美男子の血を啜ってきたのであろうか、と思えるほど唇が赤い。それをみながら、幕末にくるまえ、相棒と逮捕したストーカーが取った人質のネットカフェの女性店員の唇が、赤いルージュだったことを、ふと思いだす。
若い女性だと赤いルージュと思えるのに、幕末でおねぇが紅を塗っていると、どうしても血を連想してしまう。なぜだろう・・・?
軽く頭を下げる。それから、藤堂に視線を向け、あらためておねぇをみつめる。みる、ではない。みつめる。
アイコンタクト・・・。心理戦の重要なアイテムの一つ、である。
「平助さんの母方とわたしの父方が、遠縁にあたります。ずっと疎遠でしたが、平助さんが京に上洛されてから訪ねてきてくれ、それ以降、よくしていただきました。新撰組の徴募の際に、誘っていただいたのです」
考えた筋書きを、すらすらと述べる。
ことの真偽は兎も角、藤堂にはご落胤説がある。そこに触れぬよう、母方をだしたのである。
「相馬君の出身は?」
まえに座している、おそらく篠原と推察している男がきいてくる。じつに油断のない面構えである。
「常陸国笠間でございます。ですが、幼い時分に父が脱藩いたし、京で過ごしました」
まったくの嘘ではない。おれ自身は京都で生まれ育ったが、親父は笠間の出身だし、実際、相馬家はそこで代々つづいている。もちろん、親父は脱藩などしていないが。
「ほう・・・。ならば、剣術は・・・」
つぎは、篠原らしき男の右隣に座す、鈴木か加納がきいてくる。
まるで、就職の入社試験における面接みたいである。
「唯心一刀流、それと示現流を、父はたしょう遣いましたが、わたし自身は我流でございます」
笠間藩は、幕末頃「剣は西の柳河、東の笠間」と呼ばれるほど剣術が盛んである。柳河藩は、筑後、つまり、福岡県である。
笠間藩では、唯心一刀流と示現流を奨励している。親父は、それとはまったく関係なく、それらをしっていた。あくまでもしっていた。さまざまな流派を貪欲に学んだのである。そして、それはおれもおなじ。もっとも、おれの場合は、幕末にきて、必要に迫られ実戦で学んでいる。
「ときがもったいない。ここからは、わたしと相馬君とで過ごさせていただきますよ」
おねぇの鶴の一声。その一言で、おれ以外の全員が立ちあがる。
「ガンバ!」
立ち上がりながら、山崎がおれの耳にささやく。
それは、おれが教えた言葉の一つ。
そして、おねぇの望みどおり、二人きりですごすべく、脳内と心中とで気合をいれなおす。