「贈る言葉」
おねぇとは、「角屋」で会うことになっている。そこは、島原でも老舗の揚屋の一つである。
上洛した当初から、新撰組はそこを贔屓にしている。
ある秋の夜、新撰組は大宴会を開いた。まだ人数のすくなかったころである。ほとんどの隊士が参加した。それは、盛大におこなわれた。宴もたけなわをすぎた頃、局長の一人とその取り巻きたちは上機嫌でかえっていった。
当時、新撰組は壬生村の八木邸と前川邸に屯所を構えていた。
大宴会のおこなわれたその深更、局長の一人芹澤とその一派のほとんどが、あの世へと旅立った・・・。
芹澤鴨とその一党が暗殺された、歴史的にも有名な事件である。表向きには長州藩士に暗殺されたということになっている。が、実行犯が副長、井上、山南、原田、沖田であることは、150年以上経った未来の人間のおおくがしっている。
もちろん、この時代の人たちにもわかっている。
「藤堂くんとは、ことがおわってからになるだろう」
大門をくぐったあたりで、山崎がおれにそう囁きかけてきた。
こと・・・?その曖昧な表現に、おもわずささやきかえす。
「ことって?ことってどういうことです?ああ、おねぇとの打ち合わせのことですね?」
山崎の小ぶりの相貌に笑みが浮かぶ。それは、小説で表現されるところの「ふっ・・・」という笑みが浮かんだ、というそのまんまの笑みである。
「わかってる・く・せ・に・・・」
右側をあゆんでいる山崎が、耳に口をちかづけてくると、熱い息とともにそうささやく。しかも、おねぇの声を真似て。ついでに、あるきながら腰までくねらせるというオプションまでつけて。
飛びあがりそうになった。もちろん、道ゆく人に不審者と思われそうなので、必死に我慢したが・・・。
「山崎先生っ!やめてください」
これではまるで、いけすかないむっつりスケベの上司から、セクハラを受けているOLみたいだ。
「面白いな」
うしろをあゆんでいる井上は、そうつぶやいてから「ははは」と笑う。
「井上先生、ちっとも面白くありません」
うしろを振り返り、抗議する。
「だいたい、おれより山崎先生のほうがよほどいい男だし、おねぇの扱いもうまそうだ」
そして、矛先を、そもそもの山崎へと向ける。
島原の往来のど真ん中で立ち止まり、むかいあっている。
ちょうどハッピーアワーの時間帯である。もちろん、島原にそんなサービスなどあれば、の話だが。
それでも、長時間愉しんでやろうという、お金持ちのぼんぼん風情や、揚屋の小者たちが、せかせかといききしている。
「わたしではだめだ」
山崎がいう。その相貌には、いつもとはちがう怪しげな、もとい、妖艶な笑みが浮かんでいる。
「わたしのは演技だ。任務のために演じているにすぎぬ。主計、おまえみたいに心からおねぇを想い、尽くそうというような所作は、絶対にできない。そして、おねぇもそれをしっている」
突っ込みどころ満載の説明に、井上に助けを求めてしまう。だが、井上は、胸元で交差させている腕を、それぞれ着物の袂に入れた格好で、両肩を竦めただけである。
「ちょっとまったー!」
一昔前の出会い系バラエティ番組の参加者のように叫ぶ。もちろん、その番組をリアルに観たことはなく、再放送を観たのである。
「それではまるで、おれがおねぇにゾッコンみたいではないですか」
山崎は、おれの勢いに気圧されるどころか、驚きの表情を浮かべる。
「これは異なことを・・・。ちがうと申すのか・・・?」
困惑の表情にかわる。
「山崎先生、主計をからかうのはやめたまえ。かわいそうではないか。主計、山崎先生は、おまえをからかっているだけだ。どうやら、先生は、よほどおまえを気に入っているらしい。さぁ、刻限がせまっている。ゆこう」
井上は、袂から腕をだすと、おれの肩をぽんと叩き、とっととあゆみだす。
慌ててそれを追う。
「まったくもう、人が悪いですよ、先生」
せかせかとあゆみながら文句をいうと、山崎は、いつものようにニヒルな笑みを浮かべる。
「すまない。だが、主計、かまえる必要はない。おまえの間者、ではないな。囮なんとかだったか?兎に角、おまえの腕はたしかだ。副長もそれをわかっているから、おまえにこの任を与えたのだ。自信をもて。おねぇを逆にやってしまうほどの気でいくといい。藤堂くんのことのほうが、此度は大事だ。それを、忘れるな」
山崎は、まえをみつめたまま、そう言葉をおくってくれた。
それは、なによりうれしい「贈る言葉」である。