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「THE MATSUTAKE」

「それにしても、うまかったな」


 屯所への帰り道、原田は自分の腹を、掌でさすりながら満足げにいう。


「ああ、うまかった・・・」

「でも、あんまり好きじゃないなー。においがきつすぎる」


 永倉の言葉にかぶせ、否定的なことをいいだす市村。


 なんて罰当たりなことを・・・。いや、子どもにはわからないのだ。きっとそうだ。

 そうだ、おれも子どものころは・・・。


「あ・・・」


 まだ子どもだった時分ころのことを思いだす。


 まだ幼稚園だったときのこと。マンションのすぐ近所の幼稚園に徒歩で通い、たいてい、おなじマンションに住む友達を、母親が迎えにきたときに一緒に連れてかえってもらい、家で親父の帰宅をまっていた。

 幼稚園の時分ころから鍵っ子だったわけだ。もっとも、小学校にあがってからは、学校がおわるとそのまま警察の道場にむかい、そこで剣道をやっていた。なので、事件やまがないときには、そこから親父と帰宅するのが、当時はすごく嬉しかったのを、いまでもはっきり覚えている。


 その日、幼稚園に親父が迎えにきた。あんなこと、後にも先にもあの一回こっきりだったので、鮮明に覚えている。


 親父は、おれの掌をひき、スーパーへむかった。久しぶりに、料理を作ってくれるという。ちなみに、当時、親父はまったく料理をしないというわけではなかった。じゃがいも、にんじん、たまねぎ、鶏肉を大量に準備し、三分の一はなんちゃって筑前煮に、三分の一はチキンカレーに、残る三分の一はシチューにし、それをタッパーに詰めて冷蔵庫や冷凍庫にストックする。おれが飯だけ炊き、親父が帰りにスーパーで副菜用にでき合わせのものを購入し、和風のときだけインスタントの味噌汁を添え、食べた。朝は、たいてい食パンにミルクだったので、おれは自分で食パンを焼き、ジャムやマーガリンを塗って食べてから、幼稚園にいった。


 親父がちゃんと料理するのは、早上がりか非番のとき、というわけだ。


 秋だった。スーパーの野菜コーナーのところで、数名の客がなにやら考え込んでいる。


「丹波産の松茸、本日限りですよ」と、店員がその客たちにいっている。


「ほんま、ええ香りや。やっぱ国産、最高級の松茸は香りがちゃうな」

「ほんまほんま、なあ、どうする?」

「でもなー、万やで・・・」


 がぜん興味をもった。で、それが置いてある台にちかづく。


「・・・?」


 なんともいえないにおい・・・。それは、えもいえぬいい香りという意味ではなく、嗅いだことのない奇妙なにおい、という意味である。


 だが、これだけの客が、しかもそのなかの何人かは、それを掌にとると買い物かごのなかにいれ、意気揚々とレジへ向かったのである。うまいにきまっている。きっと、椎茸よりおいしいはず・・・。


 そう確信する。


「父さん、これが食べたい」


 大人の事情や懐具合など、わかるはずもない。無邪気な笑みとともにお願いする。


 親父は、日本でも屈指の剣士だ。そして、クールな刑事でかだ。声を荒げたり、慌てたり狼狽えたり、というよなところをみたことがない。その親父が、要望を伝えた途端、あきらかに狼狽した。それから、困った顔になった。


「肇、残念だが、おまえにはまだはやい。これは、大人の食べ物だ。子どもには毒茸になる。食べると腹が痛くなって、医者に注射してもらわねばならない。そんなこといやだろう?」


 心底驚いてしまった。毒茸・・・。腹が痛くなるのも注射もいやだ。スーパーの店員やまわりの客たちが笑っていたが、その笑いの意味がわからなかった。


 その夜、親父は泪を流しながらたまねぎを刻み、油ギッシュになりながらひき肉をこねくり回し、火傷しながらフライパンと格闘し、おれの大好物のハンバーグを作ってくれた。


 小学校五年生になるまで、松茸を毒茸だと信じていた。


 親父との数すくない思いでの一つを、いま、ここで思いだし、感じた。


「どんだけするんだ、ええ?」


 思いでにひたっているおれの耳に、永倉の囁き声が流れ込んできた。


「さっきの様子じゃ、おまえのいたところではきっと、値が張るんだろう?」


 つづいて、もう片方の耳に、原田の囁き声が・・・。


 頭のなかですばやく計算し、おごそかに囁き返す。


「あれだけの量なら、金千両はくだらないでしょうね」

「なにー」


 永倉と原田は、同時に叫ぶ。


 まえをあるく子どもらや相棒だけでなく、通りをゆきかう人々をも驚かせた。


 幕末頃の貨幣の価値は、一両が二、三千円の間くらいといわれている。

 二、三百万円はくだらない、はずであろう。

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