柳生の剣士
もとの位置に座すと、松吉の父親は口を開きかけたがそれを閉じ、廊下とは反対にある襖のほうに視線を向けた。
音もなくそれが開き、松吉の母親が座して辞儀をしている。それから、盆を下げて入ってきた。
それぞれのまえに湯呑みを置くと、「もう間もなく支度が整います」と告げ、また辞儀とともに部屋からでていった。
いまさらだが、これぞ武家の妻女だと、心から思う。
近藤局長の妾のお孝さん、原田の妻女のおまささん、永倉の妻女の小常さん、三人とも会っているし、三人とも礼儀正しい大和撫子である。だが、そのように育てられた者と、そうでない者とでは違うのであろうか。うまくいえないが、醸しだす雰囲気というかオーラというか、兎に角、根本的になにかが違うように思える。
漠然と考えていると、松吉の父親は、自分の奥方がでていってしばらくすると、あらためて口を開いた。
「わが家は、さる藩の家老職を代々務めておりました。藩主は江戸詰めなものですから、わが家も代々江戸におりました。この刀は、江戸にはもってゆかず、留め置いていたのです。が、神君家康公の御世より二百年以上が経ち、江戸の屋敷の蔵にでも置いておけば問題なかろうということで、祖父が帰国し、江戸に戻る際にもっていったのでございます」
おお、なにか小説のような展開になってきたぞ。わくわくしてしまう。
永倉と原田も、興味深げにききいっている。
「ある歳の暮れ、祖父と父は、主君とともに江戸城に参りました。その際、さる藩の藩主が、自藩の揉め事のことで釈明をするか、あるいは、譴責されるためかで参内しておりました。ちょうど、わが藩主とその藩主が、ゆきちがいになろうとしたときです。 その藩主の生命を狙った藩士たちが、襲撃してきたのです。その数二十名ちかく。わが藩主は、正義感の強いお方でございますし、そのお役目上み過ごすことができず、助太刀いたしました。こちらは祖父と父、両方の藩のわずかな供回りのみ。祖父も父も、両藩主を護りきりました。そして、ともに絶命いたしました」
「なんてことだ・・・」
同時につぶやいてしまう。とんだとばっちりじゃないか。
「それから数年後、安政七年ですが、家督を継いだわたしが、おなじように藩主のお供で登城いたしました。すると、その藩主が、このときには駕籠でやってきたところでしたが、また襲われたのです。そのときには、襲撃者たちも前々から時期やら状況やらを見極め、藩外からも同士を集め、その藩主を確実に殺害するために画策していました。わたしたちは、襲撃場所から離れていたところをあゆんでいたのですが、示現流独特の猿叫をきき、すぐに駆けつけたのです。そのときも、二十名にちかいほどでしたでしょうか。すでにその藩主は殺され、首級をあげられておりました。が、藩主の供回りで、息のある者がおりましたので、わが藩主は迷わずその襲撃者たちに向かっていったのです」
松吉の父親は、そこで言葉をきった。それから、悲しげに微笑する。
「わたしは、一応皆伝を得ています。が、未熟であり、実戦の経験もありませんでした。その結果が、これでございます・・・」
自分の左腕を、かかげてみせる。
「生きていた者も、藩邸に運び込まれた後、絶命したときいております 」
「桜田門の襲撃のことですか?」
安政七年といえば、「桜田門外の変」をすぐに思い浮かべてしまう。
彦根藩主であり、大老を務めた井伊直弼。井伊は、日米通商条約に調印し、開国を断行した。「安政の大獄」といわれる、反対派の一掃も加わり、そういったもろもろの理由で暗殺された事件のことだ。
この国は、それをきっかけに幕末の動乱期へと突入することになる。
「そのとおりです、相馬殿。その刀がきてからというもの、わが家はたてつづけに不幸に見舞われました。わたしは、剣の道をあきらめました。そして、藩主に願いで、いまはこうして京でしがない同心をしておるというわけでございます」
「松坊は、たいそう刀好きなようだ。このまえ剣術をみていたときも、うれしそうだった。そういうわけがあるんなら、父親としては剣を握らせたくはないはずだな」
永倉がいうと、原田もうんうんとうなづく。さすがは父親と父親予備軍。その気持ちが、よくわかるらしい。
松吉の父親もまたうなづいたが、さらに悲しげな表情になる。
「ですが、当人がやりたいと申すのなら、やらせるつもりです。「村正」が禁忌と申しましたが、わたしの未熟をそれのせいにしているだけですので」
視線が、「村正」へと向けられる。
奥方が、あとでこっそり教えてくれた。松吉の父親は、その流派のなかでも麒麟児と謳われた天才剣士だったそうである。当時、二人は祝言を挙げたばかりであった。松吉の父親は、奥方のため、生まれてくるであろう子らの為、剣の道をきっぱりあきらめ、心機一転やり直すことにしたらしい。
「柳生新陰流」の達人・・・。
柳生藩の藩主は、代々将軍家剣術指南役を務める。
松吉の父親は、無刀取りの極意を身につけている。
おれは兎も角として、永倉にそれをまったく悟らせなかったあたりは、さすがは柳生の剣士、といったところであろう。
人間はみかけによらずとは、まさしくこのことであろう。