嵐をよびにきた男
その朝、松吉親子が屯所を訪れてきてくれた。
松吉の父親は、この日は非番だとかで、木綿の着物に草履という、まぁ現代でいうところのカジュアルな格好である。
屋敷に遊びにきてくれ、という。
この日は、おれも非番だったので、お言葉に甘えることにする。
で、なぜか、松吉の母親まできている。
屯所の門で立ち話をしているが、松吉の母親は、なかをしきりにうかがっているではないか。
「あー、副長はおりません」
松吉の父親の手前、控えめに告げる。
すると、松吉の母親は、あきらかに失望したようである。
はっきりと表情にでたばかりか、おおきな溜息までつく。
「いいんですよ、相馬殿。家内は、屋敷でも四六時中、土方殿のことを話しております。「あんなにきれいな方は、みたことがない」、「あんなにきれいな声は、きいたことがない」、と。それはもう、朝から晩まで」
松吉の父親は快活に笑い、抱いている松吉の弟に「なあ、そうであろう?」と笑いかける。
えらい!すごい!
松吉の父親を、心中で褒め称える。
なんて心の広い、いい夫なんだ。一事が万事、寛容に違いない。こんな夫だったら、結婚してもいいとさえ思える・・・。
いやまて、なにを考えている?なにゆえ、女性目線なんだ?
自分の考えに、愕然としてしまう。
伊東とのさらなる密会をまえに、どうかしてしまっているのか?
これはなにも、囮捜査官としての心構え的なものではない。
この寒空のなか、頬を汗が伝う。
「あ、相棒も連れてきても?」
内心の動揺を悟られぬよう、ごまかす。
「無論。ああ、子どもたちも一緒に。松吉もこの子も、新撰組の子どもたちのことが、兼定とおなじくらいに大好きなのです。それと、永倉先生や原田先生たちもぜひ。家内と家内の母親が、うまい物をたくさんこしらえております」
「いや、それは・・・。新撰組の食べっぷりは、それはもう・・・」
「主計さん、はやくはやく・・・うわっ、松吉っ!」
忠告がおわるまでに、なかから子どもらがやってきた。
そう、ちょうど例の場所に、相棒の訓練、もとい、相棒が子どもらを訓練する為にでかけようとしていたのである。
すっかり忘れていた。
市村が相棒の綱を握っており、かれを含めた子どもらは、松吉兄弟をみつけて大喜びし、わっと群がってきた。
それは松吉兄弟も同様で、大小様々な子どもらは、みな、手がつけられないほど興奮している。
屯所の門番役も、苦笑している。
井上の甥っ子の泰助と玉置が、屯所に永倉らを呼びに戻った。
いつものように、広間でだべっていたのだろう。永倉と原田は、とるものもとりあえずすっ飛んできた。
「なになに、飯を喰わせてくれるって?」
永倉は、挨拶もそこそこに確認する。
「ああ、そりゃいいな。飯、喰いてぇ」
原田まで。
「ちょっと待ってください、両先生。家で食事してるでしょう?共働き夫婦じゃあるまいし。おまささんも小常さんも、専業主婦でしょう?ちゃんと食事を作ってくれてますよね?それなのに、なにゆえ、食べ盛りの子どもみたいに騒ぐのです?」
現代事情もまじえ、尋ねてしまう。
この時代、料理屋や宿屋のような商いをしていないかぎり、たいていは専業主婦だろう。
ローンの返済の為、子どもらの学費の為、マイホームの為、さらには老後の為、あるいは、仕事をつづけたいという望みの為、パートだろうがフルタイムだろうが、働く妻女はそうそういそうにない。まあ、傘はりや裁縫といった内職はあるだろうが。
「喰いすぎだって、怒っちまって喰わせてくれねぇんだよ」
永倉が、悲痛な叫びをあげる。
「やや子が産まれるってのに、「金子がいるでしょう」ってな」
「おれのとこもだ。おれのとこなんざ、産まれてるのと産まれそうなのがいるからな」
いや、しっかりとした女性たちである。
夫二人に同情するよりも、二人の妻女のしっかりとした観念と、夫の御し方に、称賛を送りたい。
「お三方に、このまえのお礼がしたかったのです。これ、おとなしくせぬか」
父親は大変である。
「わんわん、わんわん」
松吉の父親は、胸元で暴れる次男を抱きなおしながら、あるきだす。
「でっ、両先生は、非番ではないですよね?」
歩きながら、永倉と原田にささやく。
「あ?そうだったか?まっ、腹痛起こして家にかえっちまったら仕方ねぇ。伍長ってのは、その為にいるんだ」
「そうそう、新八のいうとおり」
返す言葉もない。
同時に、島田と林が気の毒になってしまう。
さらには、これだけの台風、いや、ハリケーン級の大嵐を、みずから招きにきた良き夫、良き父親にたいしても。
気の毒でならない、とつくづく思う。