究極のパワハラ
「切腹だ、主計」
文机の向こうから、副長がそう厳かに告げてきた。
「そ、そんな殺生な・・・」
副長の部屋で、その理不尽極まりない命をたたきつけられ、即座に叫んでしまった。
その結果が、「切腹だ」というさらなる理不尽へと発展したわけである。
副長は、よりにもよって「局中法度」を振りかざしてきた。
以前、おれには「局中法度」は守らなくてもいい、みたいなことを遠まわしにいっていたのに・・・。
それを、なにゆえ、いま、この命にだけ、それを強制するのか・・・。
究極のパワハラではないか?
「断れねぇよ、主計。これは、命じてるんだ。そむけば切腹だ」
副長は、そうつづけた。
これでもう、選択肢はない。
これが組織、というものだ。
こういうパワハラは、あきらかにコンプライアンス違反である。そういった委員だか相談室に、駆け込むべきであろう。
もちろん、そういったことができるのは、この150年近く先のことだが。
「おねぇは、よほどおめぇを気に入ったようだ。それこそ、間者としては、ああ、囮捜査官だったか?兎に角、おめぇのそれの腕は、兼定の鼻とおなじくれぇに立つってこったろう、ええ、主計よ?」
それまで、至極生真面目な表情だった副長が、そういいながら崩れてゆく。
いや、崩れる、といっても文字通りにではなく、笑みを浮かべたという意味である。
副長は、文机の上にひろげられた文に視線を落とした。
その文は、真向かいに座すおれからみても、ながく認められていることがわかる。文机の両端から、文が垂れ下がっている。
LINEに慣れたおれには、逆に新鮮である。
LINEすら、既読スルーにスタンプだけの返信、という「いやなやつ」っぽいことをずいぶんとやらかしていた。
スマートフォンなどは、他者とのやりとりをずいぶんと簡略化してくれた。それまでのメールすら、うんざりすることが多々あった。とくに、ロングメールなどは、おれには苦難苦行以外のなにものでもない。
副長の掌にある文も、「おっつー!」というスタンプに、「亥の刻島原で」という一言に、『ペコリ』か『グッ!』のスタンプでも添えておけば、それだけで済むはずなのだ。
それを、これだけ綴れるとは・・・。
「おい主計、きいてるか?おめぇ、ここにいるか?おれのまえにいるんだろうな、ええ?」
副長の怒鳴り声で、はっとする。
使えそうなスタンプを、脳内であれこれ思い浮かべてしまっていた・・・。
「おねぇは、局長とおれとの会談の段取りを、おめぇを通してやりたがってる。その申し出が、これだ」
副長は、掌のなかのながったらしい文をひらひらさせる。
「まどろっこしくていけねぇ。いっそ、ここに、その内容をしるしゃいいんだ。まぁそれが、おめぇと堂々と会う、きっかけってこったろう。それにしても、おねぇがおめぇのことを知ってるわけねぇのにな・・・」
副長は、さもおかしそうに含み笑いをする。
たしかに、おれが幕末にきたときには、伊東らは新撰組から離党していた。そして、先の逢い引き、いやいや、坂井の手引きで、政治的な思想についておねぇと会ったのは、あくまでも密会だ。そう、密会だった。
ゆえに、伊東がおれをしっているわけはない。
が、おれを指名してくるとは・・・。
「主計、向こうからいってきたことだ。こっちからも注文をつける。供に、平助を加えるように、とな。おめぇが遠縁だから、わずかでも話をしたがっている、と・・・。おねぇとの段取りはどうでもいい。ああ、いや、おめぇには、つらい務めになるにちげぇねぇだろうが・・・。それよりも、平助のことを・・・」
「おれにできるかどうか・・・」
さすがの副長も、藤堂についての命は、いいにくそうである。
あくまでも、個人的な感情からくるものだからである。
だが、それは承知している。期待にこたえたい、という思いも存分にある。
しかし、高台寺で、かれの説得に失敗した。いまさらこちらの話に耳朶を傾ける、とも考えにくい。
しかも、おれは試衛館時代からの仲間ではない。
だが、御陵衛士のなかで唯一の仲間であった斎藤が去ったことで、すこしは歩み寄りをみせてくれるであろうか・・・。
「努力はいたします」
ついに、そう応じた。それから、さしあたり、副長の言葉のなかのいま一つの問題点について、確認をとる。
「副長、つらい務めとは?日程や場所を詰めるのに、つらい、とはどういう意味でしょう?」
ふふっ、と副長のきれいな唇が歪む。
「主計、斬りあうまえから、斬られて死ぬ、ときめつけてのぞむか、ええ?このまえの試合みてぇに、無心でいってこい。そのほうが、幸せだ」
なんてことだ。島原での打ち合わせは、死闘なのか?そこは、おれにとって死地になるのか。
「それと主計、句がしたためられてるぞ。詠むか?」
まだあった。
しかも、句?
公式には会ったことのないおれへ?
「遠慮いたします。副長、さがってもいいですか?」
副長は、頷いてからまた文に視線を落とす。
副長の部屋からでた廊下のまえの庭で、相棒がお座りしている。
おれと視線が合うと、相棒は尻尾で二度三度と地面を掃く。
「くそっ!」
そのとき、背に、副長の囁き声がぶつかった。
「くそったれめ・・・。許せねぇ・・・」
動揺なのか、声が震えている。しかも、つぎの言葉には、殺気がこもっている。
「こんな、こんな句・・・。燃やしてやる・・・。消えてなくなりやがれ・・・」
そして、くしゃくしゃと紙が丸められる盛大な音。
その音が背にぶつかり、板張りの床に落ちてゆく。
おねぇは、あっちの感性だけでなく、創作にたいする感性もすばらしいのだと、あらためて実感する。
相棒とまた視線があう。
長い口吻が、歪んだような気がする。
それはまるで、笑っているかのようである。