けむに巻く
「この京の町の人ではありません。岩崎さん、そう、あなたとおなじように、他国からやってきた方です。そうそう、剣が達者だときいています」
曖昧なことを並べ立て、不意に言葉をきる。
それから、心のなかでたっぷりと十数える。
岩崎は頭がいい。この間に、おれのいったことだけでなく、裏の裏まで考えるだろう。
「じつは、その人のことについて、難儀していましてね。もしかしたら、そこの・・・」
かぎりなく声量を落とし、つづける。
その意味深ないい方に、岩崎だけでなく、いまや全員が身を乗りだし、おれの声に集中している。
おれの指が林の向こうを指す。全員がそれを追う。
「お方とも、なんらかの接触があるのではないか。だとしたら、そのお方もおれとおなじように難儀されているのではないか、と。もちろん、岩崎さん、あなたもです」
口の端を歪め、意味ありげに頷く。
岩崎をのぞく全員の頭の上に、クエスチョンマークが点滅している。
永倉などは、おれのいっていることがわからなさすぎるのであろう。
はてなとびっくりの二つのマークが、交互にちかちかしている。
周囲の反応を、心のなかで愉しむ。
岩崎だけは目端がききすぎるがゆえに、おれの言葉を何度も反芻し、熟考しているのがよくわかる。
ごつい相貌のちいさな双眸は、木漏れ陽で細められ、眉間には皺が寄っている。
しばし、優越感を味わう。
三菱財閥の基礎を創りあげた男を、相手どっている。
小鳥たちが、木の枝の上で騒いでいる。
集会かなにかだろうか?それとも、林のなかで朝っぱらから騒いでいる人間を、野次っているのであろうか?
「龍馬が?龍馬がここにきたと?」
その一言は、小鳥たちのお喋りから現実にひきもどしてくれる。
木上から戻した視線のさきで、岩崎が猪首をすくめ、きょろきょろと周囲をみまわしている。
すぐそこの木のうしろから、坂本龍馬が「ハーイ!」と片方の掌を上げてでてくる、とでもいうかのように。
内心の動揺を悟られぬよう、最大の努力を払う。
同時に、口を開きかけた永倉と島田に、視線で合図を送った。
そこはさすがである。二人もまた、平静を装ってくれる。
「そうかもしれない、ということです。なにせ、このあたりでみ失ってしまったのですから・・・。あそこの方に、おしらせしたほうがいいのではないですか、岩崎さん?」
「あああ、ああ、そうですな・・・」
岩崎はうろたえた様子で回れ右をすると、とっととあるきだす。
用心棒たちが、慌てて追いかける。
おれたちがみまもるなか、岩崎たちはもときた道を戻り、さきほどでてきたばかりの裏門に辿りついた。
すると、また裏門が開き、そこからなに者かがでてきた。
挨拶であろうか、二、三言言葉を交わしているのが、茂みに潜みながら目視できる。
岩崎はなかへ、でてきた者は往来へと別れる。
でてきた者は、岩崎がゆくはずだった方向とおなじ方、つまり、おれたちの潜んでいる方へとあるいてくる。
容疑者である。
「おいおい、ありゃぁ今井じゃねぇか・・・」
両膝を折ってしゃがんだ姿勢でみている頭の上で、腰だけ屈めてうかがっている永倉が呟く。
「間違いないですね。今井ですよ。しかし、やっこさんは示現流でしたか?」
島田もまた、容疑者の正体をしっている。
「見廻組の今井さんですね?」
よほど有名人なのであろう。
松吉の父親も知っている。
が、その松吉の父親のお蔭で、今井がだれかがわかった。
今井信郎。幕臣にして、見廻組の一員。
近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺したといわれる、実行犯の一人である。