「マン・キラー」
さすがは昔、である。
ああ、いまいった昔、というのは現代からの昔という意味で、幕末のことである。
夜明けとともに起き、暗くなったら眠る。
人間、そういう生活が体的に一番いい。
そもそも、人間の体も心も、神様はそういうふうにつくったのであろう。
という、赤ちゃんは鵠の鳥が運んでくる的な発想はともかく、夜もしらじらと明けつつある町は、じょじょに目覚めつつある。
結局、おれたちはこの夜、完撤してしまった。
おれだけでなく、永倉も島田も松吉の父親も、そして相棒まで、みな眠そうである。
正直、おれも眠い。
昔、ああ、ここでいう昔、というのは、現代にいた頃のことをさす。
現代にいた時分は、仕事であろうがなかろうが、不規則な生活を送っていた。それは、おれだけではない。おおくが不規則な生活であろう。
きょうび、小学生でも塾があるので、九時にベッドに入って眠る、なんてことはない。
まともに帰宅するときでさえ、夜中の二時三時まで起きていることがざらだった。日付がかわるくらいにベッドに入っているなんてことは、よほど体調が悪いとき以外にはない。
それがここにきて、そんな悪習は一掃された。というよりかは、せざるをえない。TVもNET環境もないこの時代、ついでに電気すらなく、灯火の無駄遣いもできぬなか、夜は眠るしかないのである。
食とおなじく、生活そのものが健康的になっている。
ゆえに、昔は一晩くらい眠らなくても平気だったことが、いま、これだけきついというわけである。
そう、事件はまったなし、だ。
一晩二晩、あるいはそれ以上、数十分の仮眠ですませることも多々あった。それでも、おれたちは気合と根性でのりきる。
時間、こそが敵であり、勝負でもあるのだから。
もちろん、何日かまとめて休みが取れた場合、映画や小説や漫画をまとめて観たりよんだりすることもある。
掌の届く範囲に、何食かのコンビニ弁当、茎わかめを数袋、飲料水などを置いておく。ローテーブルにPCと外付けのHDを設置し、BD、小説、漫画をフローリングの床上に積み上げておく。
これで、動くことといえば、トイレかシャワーか、冷凍庫にアイスをとりにいくだけ。
この完璧な態勢で、おれは二昼夜は過ごせる。
ちなみに、ベッドは使わず、フローリング上に、web上の通販サイトで購入したベッドにもなるソファーを置き、それをベッドがわりにしていた。
このソファー、たいそう座り心地、寝心地がいい。よすぎて人間をだめにしてしまうほどだ。実際、だめにされた。
あのソファーだけは、惜しい。できれば、もってきたかった。
あの雨の夜、あのソファーを「之定」とともに背負って走ればよかった。
それほどよかったあのソファー、名を「マンキラー」といったと思う。
いい得て妙すぎる。
ソファーを懐かしんでいる間でも、男はあるく速度を落とすことも速めることもなく、どんどんあるいてゆく。
着物に袴、腰には大小をさすその恰好は、それだけみれば武士以外のなにものでもない。
左右の民家やら商家からは、すでに生活の音やにおいがしている。人もちらほらあるいている。
おれたちは、男からある程度の距離を置いているにもかかわらず、み通しがいいのでみ失うことはない。
こんなに大胆かつ、らくな尾行はついぞない。
み失うなど、しようにもできないだろう。
尾行をはじめて三十分ほどだろうか。
男は、屋敷らしき裏口からなかに入った。
「ここはたしか・・・」
松吉の父親がつぶやく。
その表情は、またしてもそこが意外なものであることをあらわしている。
またか?またしてもとんでもないところなのか?
おれが左脇をみ下ろすと、相棒がおれをみ上げている。
その表情は、「おいおい、まだ働かせようというのか?かなりブラックだぞ?」といっているような気がする。
それはきっと、気のせいなのだろう。