夜鳴き蕎麦屋
狼みたいなものを連れた五人の男が、路地の暗がりでたむろしているのは不自然すぎる。しかも、そのなかの一人は、あきらかに同心にしかみえないのである。
鳶が、奉行所と屯所にはしってくれるという。
報告と指示、あるいは、人数が揃うのをまたねばならない。
ちょうど川べりに、夜鳴き蕎麦屋がでている。その位置からならば、充分瞳がゆき届くはず。
もちろん、裏口はあるであろうから、そこからでていってしまえば気がつかないが。
それをいっていれば、きりがない。
「親父さん、蕎麦を四杯頼むよ」
「ああ、さきに四杯。さらに二杯、頼む」
松吉の父親の依頼にかぶせ、永倉がいう。
「ええっ?さらに二杯って・・・ああ、ありがとうございます。ですが、相棒はいりませんよ・・・」
苦笑しつつ、礼を述べる。
すると、永倉の頭上に「はあ?」というおおきな吹きだしが浮かぶ。
「なにいってやがる、主計。猫舌の兼定が、蕎麦をやるわけねぇだろうが」
「いいえ。兼定は犬です、組長。猫舌は猫です」
冷静な突込みをいれるのは、伍長の島田である。
いや、伍長の役割は、突っ込みではないはず・・・。おそらく・・・。
「これは、中村の旦那やないですか。坊らは元気でっか?」
蕎麦屋の主人の声で、はっとする。
蕎麦屋の主人の右の頬に、おおきな傷がはしっている。この傷跡は、あきらかに刃物によるものだ。
注文を受け、つくりはじめた主人の掌をみると、左右合わせて九本しかない。指が、である。
「上の子は、やんちゃでかなわぬ。下の子は、あっちこっち動きまわってあぶのうていかぬ」
それは、松吉の父親が典型的な子煩悩であることを、如実に示す返答である。
その表情は、子を溺愛する親のそれである。
「また連れてきてくれはったら、いくらでもご馳走しまっせ」
どうやら、しり合いらしい。いくつかの筋書きを想像していると、松吉の父親が教えてくれた。
この蕎麦屋の主人は、もともと大坂で有名な侠客の弟分であったが、妻子の為に足を洗う決心をし、京に逃れてきた。が、追っ手に追い詰められたところを、松吉の父親が助けた、ということだ。
「名は、仙助といいます。これでも、大坂で「小刀の仙」といえば、しらぬ者はおらぬほどの腕前です」
あらためて、「小刀の仙」をみる。
たしかに、所作に無駄も隙もない。
そして、できあがった蕎麦はとてもうまそうである。出汁のにおいがたまらない。
蕎麦の入った器と箸を掌に、客用に設けてある卓につく。
長椅子に座す。ふとみると、相棒がじっとみつめている。
その黒い瞳は、正確にはおれではなく、卓の上に置かれている器に向いている。
「わかった。わかったから・・・。すこしだけだぞ」
相棒の瞳力である。
おれは、それに弱い。
蕎麦を何本か箸でつまむと、それにふーふーと息を吹きかけ、冷ましてから掌にのせる。
相棒の鼻面にさしだすと同時に、それは消えた。刹那以下、である。
さらに二、三度繰り返す。
そして、やっとおれもありつけた。
うまい。これまで食べてきた食べログ上位の店より、ずっとうまい。
「仙助さん、今宵は何時からここに?」
永倉と島田が二杯目をすすっているのを横目にきいてみる。
「暮れ六つくらいでんな」
仙助は、あいた器を洗いながら答えてくれる。
「もしかして、そこの家に剣士が入っていかなかったでしょうか?」
故意に、武士とはいわない。武士とはかぎらないからである。
「みましたで」
仙助は、即答した。
松吉の父親だけでなく、永倉と島田もまた箸を止め、仙助に注目する。
「だれか斬ったばかりでんな、あれは。血の臭いがぷんぷんしとった。すぐにわかるんですわ、ああいうのは」
仙助は、洗い桶から相貌を上げ、おれたちににんまりと笑う。
おおきな刀傷まで、にんまりと歪む。