泣くときはみんなで泣こう
そのとき、相棒が軍服の袖を甘噛みしてきた。
視線が合った。
『落ち着け』
なにゆえか、相棒がそういっていることがわかった。
「あ、ああ、そ、そうだ、な」
涙もぶっ飛んでしまっている。
とりあえず、俊春の体を床に横たえさせた。
副長も、冷静さを取り戻したらしい。きれいな掌を伸ばすと、手伝ってくれた。
そして、副長は自分の膝の上に俊春を抱いた。
相棒が、かれの頬をなめた。
かれの腹部の傷をみてみた。薩摩藩の士官服の黒色の上着が、血で染まってしまっている。
黒色なのに、それがはっきりとわかるのである。
致命傷レベルで出血しているということだ。
この船は、傷病人を運んでいる。当然、軍医か徴集された蘭方医か漢方医かはわからないが、なんらかの医師が乗船しているであろう。
「副長、医師を呼んできます」
副長の返事を待たずに立ち上がろうとした。
「主計、大丈夫だから」
その瞬間、俊春の小ぶりだが分厚い掌が、おれの掌をつかんだ。
「ごめん。ホッとしたのと思いっきり泣いたのとで、力が抜けてしまっただけだから」
「馬鹿いうなよ。それは、力が抜けたんじゃない。失神っていうんだ」
「お願い、いかないで。ぼくの傷は、フツーの人間だったら死んでいるはずだ。下手に医師にみせれば、おかしいって思われる。疑われたくない。目をつけられたくないんだ。大丈夫。すこし休んだら、自分で傷を焼くから」
「おまえなぁ……」
そういいかけたが、たしかにかれのいうとおりである。
下手に目をつけられでもしたら、おれたちの素性がバレるかもしれない。そうなれば、せっかく助けてくれた西郷や黒田や東郷に迷惑がかかる。
「主計、いい。俊春のいう通りにしろ。こいつは、死なぬ。死なせぬ。だから、いう通りにしてやれ」
副長の『大丈夫』の根拠はわからない。正直、あてにもならない。しかし、俊春の希望にそうことはやぶさかではない。
ゆえに、腰をおろした。
「マジで大丈夫なんだな?」
俊春に念を押すと、かれはちいさくうなずいた。
かれは、とっくの昔に限界をこえていたのである。それをここまでがんばってくれた。しかも、最愛の人の死を目の当たりにし、その悲しみに向きあう暇すらなく戦いつづけた。
「いい子だ、俊春」
副長のきれいな掌が、俊春の顔色の悪い頬をやさしくなでる。
「思いっきり泣いたか?」
その問いに、俊春はまたちいさくうなずいた。
「泣きたいときには泣け。いままでとおなじようにな。だが、我慢したり一人でこっそり泣くなんてことはやめろ。おまえは一人じゃない。おれや主計や兼定や勘吾や八郎や沢や久吉や鉄や銀がいっしょだ。丹波にゆけば、左之や総司や平助や山崎たちもいる。みなで泣こう。それ以外は、笑っていろ。俊冬のいう通りだ。おまえには、笑顔が似合っている。それに新撰組のカラーは、ズバリ「お笑い」だしな。なあっ、主計?」
「ええ、もちろん。新撰組あらため「チーム・ザ・お笑い」にしてもいいくらいです。ってか、副長。だれか忘れてはいませんか?」
「えっ、そうだったか?」
副長はとぼけた。いま、たしかに野村の名がなかった。
わざとに決まっている。
「俊春、これからは俊冬にかわっておれがおまえを護る。主計、おれには生きる目的ができた。だからもう、死にたいなどとかんがえぬ」
「副長……」
「あいつは、自身の生命と引き換えに、おれの精神を救ってくれた」
副長の切れ長の双眸に、揺るぎのない光が宿っているのをみた。
その光を認め、はじめて気がついた。
俊冬が自分の死にこだわったのは、副長を死から物理的に救うというよりかは精神的に救いたかったからではないのか、ということに。
心から生きていたい。死んではならない。死にたくない。
副長にそう思わせるには、かれが生きていては説得力にかけたかもしれない。もちろん、それは俊冬が死にこだわった理由の一つである。実際のところは、俊春のこととかもろもろの理由があったのだろう。
おれの推測が正しくても正しくなくても、俊冬の死がおれたちに多大な影響を与えたことにかわりはない。
「ゆえに俊春、おれにすべてを任せろ。生命をあずけろ。おまえは、これからさき指一本動かす必要はない。すべておれがやるからな」
「いや、ムリムリ」
思わずツッコんでしまった。
これがたとえ俊春を安心させるための方便だとしても、副長の言葉はあらゆる意味で許容範囲をこえてしまっている。
「すみません、副長。ぼくは、そこまで廃人になっているわけではありません。ですが、お気持ちはいただきます」
「俳人?そういえば、副長のド下手くそな辞世の句があるのを忘れていた」
「なんだと、この野郎っ!」
またしても頭にグーパンチを喰らった。
「主計、その俳人じゃないよ。ごめん、いい表現じゃなかった。そこまで落ちぶれていないっていった方がよかったかな?」
ああ、廃人のほうね。
ってか、落ちぶれてないって、そっちもめっちゃ嫌味じゃないか。
「辞世の句は、俊冬がちゃんと認めて副長の写真といっしょに紙に包んで託しているよ。かれは『ウィキに載っている三首とも大盤振る舞いしておいた』っていっていた」
「なんだと?」
「なんだって?」
副長と相貌を見合わせてしまった。
さすがは俊冬である。
芸が細かすぎる。




