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びびらせる

 榎本の執務室は、実にシンプルである。


 榎本は、執務机の向こうに座っている。そして、大鳥が廊下側の長椅子に座っている。


 どうやら二人は酒を、具体的にはワインを吞んでいるようである。


 執務机上にワインの瓶が置いてあるのをみるまでもなく、執務室のドアを開けただけでアルコールのにおいが鼻をついた。


 窓が開いているにもかかわらず、部屋の内にこれだけにおいがこもっているのだから、相当吞んでいるのであろう。


「おくつろぎのところ、申し訳ありません」


 島田がきりだした。

 ふだん温厚なかれにしては、ずいぶんと険のあるいい方であった。


「おおっと、新撰組の幹部が揃ってどうした?」


 榎本が、ワイングラスがわりの湯呑みをかかげてきいてきた。


『新撰組の幹部が揃ってどうした?』


 ということは、おれも幹部の一人として認識されているわけだ。


 ちょっとだけテンションが上がった。


 ってそんな場合ではない。


 いまのその問いである。


 どうしたもこうしたもないだろう?


 かれの酔眼を睨みつけながら、ツッコまずにはいられない。


 二人で呑んでいるのは、なにかの祝いなのか?

 

 そう勘繰らざるを得ない。


 たとえば、土方歳三が戦死したということを祝ってとか……?


 榎本は執務机から、大鳥は長椅子でこうべをこちらへめぐらせ、それぞれ視線を向けてはいる。


 しかし、視線それをおれたちの視線それとけっして合わせようとはしない。


 昔取った杵柄ではないが、いまの二人の表情かおは、あきらかにうしろめたさがあらわれている。


 忘れられていてはいけないので、「昔取った杵柄」というのは、おれが現代にいた時分ころ刑事でかだった。その時分ころのスキルのことである。


 念のため、補足説明しておきたい。


 って心の中で説明している間に、すぐうしろにいるはずの俊春がいなくなっている。


「なっ、なにをしやがる?」


 榎本の悲鳴にも似た問いがきこえたときには、俊春が榎本かれを執務机におさえつけていた。


 めっちゃ暴挙である。


 だが、島田も相棒もおれも傍観している。


 そのとき、大鳥が立ち上がりかけた。


「大鳥陸軍奉行、座っていた方が身のためだと思いますがね」


 島田がその大鳥の華奢な肩に掌を置き、忠告をしながら無理矢理座り直させた。


「陸軍奉行並が死んだ」


 俊春がいった。その声音は、ぞっとするほど冷たい。


「戦死に見せかけ、背を撃たれた。敵にではない。味方に、だ」


 さらに冷たい声が、音のない室内に響き渡る。


「敵と交渉し、貴様らの生命いのちを助けてもらう手はずを整えてやった」


 俊春かれは、冷たい声でつづける。


 かれはそう告げるなり、掌に持っている俊冬の頸を机の上におさえつけている榎本の鼻先に落とした。


 榎本も大鳥も、それがなにかを即座に悟った。


 驚愕以上の表情が、どちらの相貌かおにも刻まれた。


「この頸のお蔭で、貴様らは生を繋ぐ。味方全員を救い、一生涯配慮せよ。そして、土方歳三のことで一生涯後悔しろ。もしも貴様らがそれを忘れるようなことにがあれば……」


 かれは左掌の三本の指で榎本の頸をつかみ、力を加えた。


「この頸のようにしてやる。否、恐怖と屈辱にまみれた人生を味あわせてやる。忘れるな。「狂い犬」は、子犬の皮をかぶりし餓狼だ。貴様ら自身だけではない。貴様らの親類縁者、子々孫々まで呪い祟ってやる」


 俊春の厨二病的な脅しに、大鳥の華奢な背中がめっちゃ震えだした。彼は、マジでビビりまくっているのである。


 いまにも俊春に頸を握りつぶされようとしている榎本にいたっては、相貌かおが真っ赤になっている。


「俊春、もういい」


 副長や俊冬なら止めるであろうタイミングでかれを制止した。


「忘れるな」


 そういうなり、俊春の姿がその場からかき消えた。


 開け放たれた窓から、微風が迷い込んできた。それが、室内の緊張感に冷たさをあたえる。


 榎本は激しく咳き込みながら上半身を起こした。


 長椅子の横を通り、まだ咳き込んでいる榎本にちかづいた。それから、文字通り上から目線で見下ろしてやった。


「弁天台場にゆき、隊士たちに副長の死を告げます。おれたちは、真実を知っている。このことを隊士たちが知れば、あなた方を恨みに思い、その背を狙いたくなるでしょう。いいえ、確実に狙います。「狂い犬」と同じようにね。この頸を、しっかりそのに焼き付けておいてください。それから、「狂い犬」の忠告を忘れないでください。かれの機嫌を損ねるようなことになれば、あなた方はもうおしまいだ。もはやかれをとめることができる人間ひとは、この世にはいないのですから」


 とどめの脅しをかけながら、両掌を伸ばして机の上から俊冬の頸を持ち上げ胸元に抱えた。


 油断をすれば、涙があふれてくる。それを必死にとどめなければならなかった。


 そして、なんの反応もなくフリーズしている榎本に背を向けた。


 不測の事態に備え、島田の脚許で相棒が四肢を踏ん張っている。


 長椅子の横を通り、島田とともに部屋をでてゆこうとした。


「主計、その……。土方君は……、土方君の死にざまは……」


 背中に大鳥の問いがあたった。


 一瞬、カッときた。


 胸元の布にくるまれている俊冬の頸を見下ろす。


「それはもう立派な死にざまでした。抜刀し、先陣きって敵に向かっていったところをズドン、です。敵はきっと、自分が撃った弾丸たまがあたったと勘違いしていることでしょう。本当は、そのかれではなく味方に背を撃たれたのですから」


 振り返らずにそう答えてやった。


 かれらもこれで、自分自身のやったことにたいしてなにがしか感じてくれるだろうか。


 一生涯後悔し、罪悪感に苛まれつづければいいんだ。

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