偽物と気がついたかな?
あれだけ誠心誠意言葉を尽くしてくれた沢と久吉の想いも、馬鹿で頑固な俊冬の意志をわずかでも揺るがすことができなかった。
いったいどうすればいい?
親父、どうすればいいんだ?
親父、親父にとってある意味息子である俊冬をとめてくれ。どうにか思いとどまらせてくれ。
「だが、礼をいう」
そのとき、俊冬がぽつりと付け足した。
そのあまりにもちいさい声を、もうすこしできき逃すところであった。
久吉が鼻をすすり上げた。ついで、沢も鼻をすすった。
おれ自身も、油断すれば涙がこみあげてきてしまう。
「副長、さきほどの榎本総裁と大鳥陸軍奉行とのやり取りは、なんだったのですか?」
それからしばらくして、島田が尋ねた。
「いや。ただの気まぐれだ」
俊冬は、副長を演じつづけるつもりだろう。
「あの二人、副長のことに気がつきましたかね?」
副長が偽物であることを、榎本と大鳥が気がついたのかどうか尋ねてみた。
さきほどのやりとりだけだったら、榎本も大鳥もいつもの副長にたいする態度とかわりはなかった。
が、かれらも俊冬が副長に激似であることはわかっている。うまく隠しているとはいえ、頬の傷痕に気がついたかもしれない。
「気がつかなかったはずはない。だが、かれらはスルーした。どこかホッとした感じがうかがえた。うしろめたいんだろう。まぁ気がついたことで、自分たちのあやまちがすこしは軽くなったはずだ。本物の土方歳三が死ぬわけじゃないからな」
声のトーンが落ちた。
いまの俊冬の言葉についてかんがえてみた。
副長の生命をどうにかしようと画策しているのは、もしかすると……。
その連中は、副長が偽物であることに気がついた。
あれだけちかづいていたんだ。
それに、これまで本物と散々絡みまくっている。
気がつかないわけはない。
偽物、つまり俊冬が影武者をやっていることに気がつき、かれらはホッとしたというのか?
かれらも、副長をどうにかすることは本意ではない。
悪名高い新撰組の「鬼の副長」が味方にいるだけで、敗戦後の敵の心証や対処は悪くなることはあってもいいわけはない。
心ならずも、どうにかしようということになったのかもしれない。
それにしても、それを今井にさせるところに悪意を感じてしまう。
だれもやりたがらない中で、今井ならよろこんですると踏んだのかもしれないが。
いずれにせよ、かれらにしてみれば、本物だろうが影武者であろうが、「土方歳三は戦死した」、という既成事実ができればいいわけで……。
そんなことをかんがえていたら、無性に腹立たしく、口惜しくなってきた。
かれらは副長を利用するだけ利用しまくった挙句に、自分たちも含めた味方の保身の為に生贄として敵に捧げるようなものである。
だったら、自分たちが箱館山か箱館湾あたりで腹を掻っ捌けよ、って力いっぱいいいたくなる。
「それが、人間ってものかもしれないな」
副長、いや、俊冬がつぶやいた。
おれのだだもれの心の叫びにたいして、である。
返す言葉もない。
自分も責められているような気にさせられた。
俊冬と俊春は、自分たちは人間ではない、といつもいっている。
実際のところは、かれらは人間である。遺伝子に狼がまじっていようと、かれらが人間であることにかわりはない。
が、さきほどの俊冬の人間の評価は、正直なところ、自分もふくめて人間というのが罪深いものであると、非難されたような気がしてならない。
もちろん、すべての人間がそうではない。むしろ、おおくの人々がふつうである。
それでもやはり、さきほどの俊冬の言葉は、人を代表して恥ずかしくなってしまう。
「ったく、いちいち思い悩む必要はない」
そのときまた、俊冬のささやき声が聞こえてきた。
もちろん、おれのダダもれの心の声にたいしてのささやきである。
ふと、島田のほうへ視線を向けてみた。
いつも温和な表情のかれは、いまは険しい表情になっている。
っていうよりかは、怒っている表情といったほうがいいだろうか。
そういえば、明治に入ってから榎本が京を訪れる。その際、旧交をあたためたいと島田を誘うも、かれは「会いたいならそっちから出向いてくるのが筋だろう」、ときっぱりすっきり断ったという。
もしかして、このことがあっての面会拒否だったのだろうか。
すくなくとも、副長が死んでしまったのに榎本らが生き残ったことを、島田はよく思っていない。だからこそ、面会拒否したのかもしれない。
そんなことをかんがえている間に、千代ヶ岡陣屋に到着し、そこで立川や大野、額兵隊の二隊と合流し、弁天台場へと進路をとった。
この途中に一本木関門がある。
副長が戦死する場所。
つまり、土方歳三の終焉の地となるところである。




