もうどうしようもない
そのとき、市村と田村に抱きしめられている俊春と視線が合った。
俊春の顔は、控えめにいってもゾンビもビックリな顔色である。そのかれの口角がわずかに上がった。しかも、涙の一滴も双眸に浮かんでなどいないではないか。
はああああ?
くそっ!またやられた。
俊春のやつ、おれの説得をごまかしたんだ。
なんてやつだ……。
こんなときまでごまかしまくるなんて、恐れ入ったよ。
市村と田村に散々抱きしめられた俊春は、最後にもう一度俊冬を説得してみると約束をしてくれた。
そして、『自分は大丈夫。ここにもうしばらくいるので五稜郭に戻ってほしい』、といった。
相棒にさえ、『兼定兄さん、みんなといっしょにいって』というくらいである。
これ以上、俊春といい合いをするだけムダだろう。なにより、いい合いじたいがかれにとっては負担になる。そんな時間があるのなら、すこしでも休んで欲しいと心から思う。
仕方なしにかれに別れを告げ、五稜郭へ戻ることにした。
帰り道、みんな心の中で思い悩んでいるのか、重苦しい沈黙がつづいている。
「おーい」
すると、五稜郭のある方角から一団があらわれた。その一団は、ひっそりとした町のさして広くもない道を、音もなく駆けてくる。
相棒の尻尾が激しく揺れはじめた。
月明かりの下、その一団が新撰組であることがすぐにわかった。
先頭には、安富がいる。
お馬さんではなく自分の脚で駆けるほど、急ぎのなにかがあるのだろうか。
よく見ると、かれだけではない。ここにいるはずのない中島たちもいる。それから、明日死ぬはずの隊士たちも。
「ぽちは?」
安富が尋ねてきた。
沢と久吉が戻ってきたので、かれらにお馬さんたちを託し、急いで五稜郭をでてきたという。どちらに向かっていいかわからないが、とりあえず箱館山の方角に駆けだしたらしい。
じつにかれらしい、と思った。
「ぽちは、大丈夫です。会ってきましたが、しばらく休憩するそうです」
すると、安富だけでなく中島たちもホッとした表情になった。
「とりあえず、栗原くんたちが副長に挨拶をしたいと申すので連れてきたんだ」
「いや、登。素直にぽちのことが気になると申すべきだ」
安富がツッコんだ。
隊士たちは、明日、副長が死ぬことになっていることをしらない。そんなことを告げようものなら、弁天台場や箱館山での任務を放棄するだろう。おそらく、であるが。
放棄とまではいかずとも、気になって戦闘に身が入らないはずである。
告げるつもりはない。
だから、これ以上の話はできない。
こここから逃げてゆく栗原たちも、副長の死を知ってしまえば、逃げることができなくなるだろう。
「ということは、副長たちはまだ戻っていないということだな。栗原君、副長たちは築島の「武蔵野楼」にいる。場所は、わかっているな?よければ、そこで別れを告げるといい」
島田がいうと、栗原たちはうなずいた。
「お元気で。無事に逃げおおせてください」
「ああ。主計、感謝する。兼定、主計を頼むぞ」
栗原たちだけでなく、粕屋もいる。かれらと握手をかわした。
かれらは相棒をハグし、築島のある方角へと去って行った。
「追い払うつもりはなかったのだが……。かれらにいらぬ心配をかけたくないからな」
島田がかれらの背中をみつつ、だれにともなくつぶやいた。
五稜郭へと歩を進めはじめた。
「わたしたちも、一本木関門にゆくわけにはいかぬのか?」
中島がそう尋ねてきた相手は、おれである。
「森さん一人に隊士たちをおしつけるわけには……」
島田はそうつぶやいたが、そう出来るのならそうしたいという気持ちがこもっていたような気がした。
「永井様もいらっしゃる。どうにかなるでしょう?」
「そうですよ。わたしたちは、急遽五稜郭や箱館山にまわされたと、隊士たちには体裁を整えればいいのです」
尾関と尾形も力説する。
おれも、そう思う。
「もう説得は無理なのではないのか?酷なことを申すようだが、たまはぜったいに譲らぬ気がする」
安富の冷静な声が、容赦なく脳内に響き渡る。
「であれば、ここにいる全員で送ってやるべきだ」
安富の非情な言葉が、さらにつづく。
全員が息を吞んだ。
いつの間にか、だれからともなく立ち止まっていた。
市村と田村が泣きはじめた。
おれ自身も泣きたい。我慢をするのも限界がある。
「主計、すまぬ。わたしには、どうしようもできぬ。どうにかしたくとも、どうにもできぬ……」
さらなる安富の声は、泣き声でにじんでいる。
「主計、すまぬ。なんとかできるのではないかと高を括っていたのだが……」
伊庭の掌が、肩に置かれた。
そのあたたかみが、よりいっそう口惜しさを増す。
「鉄、銀。泣くな。男児であろう?」
そうたしなめた蟻通の声も、涙で震えている。




