萌えまくり
史実では、唯一稼働できる蟠竜が朝陽を沈めることになっている。
つい数日前の大規模な海戦で、回天が破壊されてしまった。
じつは、その海戦で蟠竜もまた致命的なダメージを喰らってしまったのである。
ゆえに、俊春が忍び込んで朝陽を沈めるというわけだ。
「ぼくが蟻通先生についていられるのならよかったのですが……。朝陽を沈めてから一本木関門によっていては、箱館山までいけそうにありません」
「案ずるな。ともに死ぬことになっている粕屋とともに、箱館山にはちかづかぬ」
粕屋は、粕屋十郎という。江戸出身で、もとは回天隊の隊士であったが、蝦夷で新撰組に移籍してきたのである。
ぶっちゃけ、変わり者である。
その粕屋は、蟻通と箱館山で死ぬことになっている。
俊春は、あきらかに調子が悪そうである。いや、そんななまやさしいものではない。いつぶっ倒れてもおかしくないだろう。それどころか、ここに座って海をみている、なんてことをしていること自体がそもそもおかしいっていうレベルである。
「ごめん。ぼくにはかれを止められない」
かれは短く息を吐きだしてから相貌を上げ、おれと視線を合わせた。
かっこかわいい相貌は、すっかりかわってしまっている。いまにも泣きだしそうなのを、必死で我慢している。
そんな表情を目の当たりにすると、途端に胸が痛くなってきた。
あの雨の夜、俊春と俊冬はおれを追ってさえこなければよかったんだ。
おれと相棒だけが、ここにくればよかったんだ。
そうすれば、こんな目に合わずにすんだはずだ。
だが、二人がいたからこそ、死ぬはずだった多くの生命が救われた。
多くの奇蹟は、おれの幕末史オタとしての知識だけではけっしてなしえなかった。
二人の力とスキルと知恵があるからこそ、である。
「もういい。もういいんだ。きみも俊冬も、もうなにもするな。副長もふくめ、死ぬはずの者もそうではない者も、まとめて逃げればいい。どうせ降伏するんだ。これ以上は戦っても無意味なんだから」
両膝を湿った土につけ、かれと目線を合わせた。包帯だらけの上半身に軍服の上着を羽織っているだけである。
その包帯も、血がにじんでいる。
かれを抱きしめたい、という衝動にかられた。
華奢な体で、どれだけ暴れ、大活躍をしたことか。
野村や伊庭をはじめとして、どれだけ多くの生命を救ってくれたことか。
それはなにも、伊庭や野村といった史実に名が残っている者だけではない。史実に名が残っていない多くの兵卒たちもまた、この華奢な体の未知なるパワーによって助かったのである。
この前、かれと話をしたことを思いだした。
生命を削っている……。
かれはこの戦で聴覚を失い、片目の視力を奪われた。両方の肺に被弾し、それ以外でも体や手足のあちこちが傷ついている。
生命を削ってという言葉は、あながち嘘ではないはずだ。
そう。かれは、自分の生命を賭け、削っている。
抱きしめかけたが、途中で躊躇した。
想像の斜め上をいくトラウマを負っているかれを、これ以上怖がらせたりストレスをあたえてはいけない。
そう思ったからである。
そのとき、かれの双眸にみるみるうちに涙があふれ、一粒二粒と頬を落ちはじめた。
だ、だめだ。これは、ある意味反則じゃないか。
キュンときすぎて、鼻血がでそうになる。
もちろん、BL的な意味ではない。
「ハジメ君、抱きしめて」
かれがささやいてきた。こんなマジなシーンなのに、やたらドキドキしてしまう。
しかも、いまここにはまだ子どもの市村と田村がいる。
子どもの前で、そんなことをしてもいいのか?
「きみには雄を感じないっていったよね?」
かれは、さらにささやいてきた。
「あ、ああ。ああ、そうだった」
肩透かしを喰らった気分である。
そうだった。感覚のおかしいかれは、おれには男性ホルモンやフェロモンがすくないと思い込んでいるのである。
もしかすると、幼馴染の異性に男性を、あるいは女性を感じないのとおなじことかもしれない。
ある意味では、おれたちは幼馴染みたいなものだから。
「ぽち先生。これでどう?」
「ぽち先生。わたしたちの胸で泣いていいよ」
そのとき、いきなり突き飛ばされてしまった。
市村と田村である。かれらは、おれをさしおて、いやいや、おれのかわりに俊春を抱きしめてしまった。
チッ……。
「主計って、かような深刻な状況でも腐男子なのだな」
「ちょっ……、ちがいます。八郎さん、ちがいますよ。誤解です」
「誤解?さきほどのは、あきらかにBLであったぞ」
「さよう。ぽちが怪我を負い、苦しみの中で助けを求めているというのに、思考がBLで染まりまくっておる」
「蟻通先生、島田先生。だから、ちがうんですってば。なっ、相棒?」
「フフフフンッ!」
ダメだ。
島田や蟻通だけでなく、相棒にまで塩対応されてしまった。




