いいかげんにしろっ!
「案ずるな。陸軍奉行並はなんともない。馬が流れ弾に驚いて暴れ、落馬されただけのことだ」
「さっさとひきあげてくれ。敵が巻き返してこぬともかぎらぬからな」
兵卒たちは、島田と蟻通の説明を信じていないとしても従うよりほかない。周囲にいる者どうしで相貌を見合わせ、肩をすくめたり頸を傾げたりしてからぞろぞろとあるきだした。
「立つな。俊春、寝ていろ」
「大丈夫です。大丈夫ですから。はなしてください。いかなきゃならないんです」
「無茶だ。俊春、死んでしまうぞ」
安富と伊庭が俊春の肩をつかみ、必死でひきとめようとしている。
馬鹿な俊春は、その二人をひきずる勢いでじわじわと歩を進めている。
右脇腹をおさえるかれのちいさく分厚い掌から、血がこぼれ落ちている。
それは、すぐに蝦夷の湿った大地にしみこんでしまう。
「俊春、いいかげんにしろ」
かれのまえに立ちはだかった。
これだけの重傷を負ってなお、大の大人二人をひきずっている。おれなど、ちょちょいのちょいでやられてしまうだろう。
たとえそうなったとしてもかまわない。兎に角、かれを止めなければ。一刻もはやく止血をしなければならない。
そのとき、かれもO型であることを思いだした。
まだ本土にいるときである。たしか、会津から仙台に向かっている道中だったと思うが、血液型の話になった。
そのとき、俊春が自分の血液型がO型だといっていた。
おれとおなじ血液型である。
輸血できる環境があるのなら、いくらでもわけてやる。それこそ、おれ自身が死んでしまうほどの量であってもだ。
「どいてよ。いかなきゃならないんだ。副長を狙った連中を見逃せない」
「いいや、ぜったいにどかない。相棒に任せたんだろう?だったら、最後まで任せるべきだ。それに、連中は失敗した。きみのお蔭で、副長は無事だ。そんな連中、ほうっておけ」
「ほうってなどおけない。すくなくとも、連中のバックはほうっておけない」
「俊春、いいかげんにしろ。もういい、もういいんだ。おまえは存分にやってくれた。八郎を救い、おれを救ってくれた。もう充分だ」
いつの間にか、副長が俊春のすぐうしろに立っていた。
副長のかれを諭す声は、けっして荒々しくも恫喝めいてもいない。やさしすぎるほどの声音に、俊春もやっと正気づいたようだ。
動きが止まった。
それを見逃す副長ではない。
うしろから、その小柄な体を抱きかかえた。
一瞬、かれがフリーズ状態になるか恐慌をきたすかと、ヒヤッとした。
が、よほど具合が悪いのだろう。ぐったりと抱きかかえられている。
「主計、傷はわかるか?」
「いいえ。すみません」
副長がかれの傷をみることができるか、ときいてきた。
が、残念ながらそこまでの知識はない。
だが、止血はできるかもしれない。
抵抗する力もないのか、俊春はぐったりしている。
副長と二人でかれを地面に横たえさせようとすると、島田と伊庭が同時に軍服の上着をさっと脱ぎ、それを地面に敷いてくれた。
そのかれらにも手伝ってもらい、とりあえずはかれの軍服の上着をぬがせた。
軍服の下のシャツは、鮮血で真っ赤に染まっている。
だれかがうめいた。
いや、おれ自身だったのかもしれない。
そのシャツも脱がせた。
視界のすみに、安富が竹筒の水を手拭いにぶっかけているのが映った。
そして、安富が濡れた手拭いを差しだしてきた。
本来なら、煮沸するかアルコールで処理をした布がいいのだろう。
だが、いまはそんなことができるわけがない。
せめて傷の特定をしなければ……。
血まみれの皮膚をやさしく拭ってゆく。
副長の膝の上で、かれは瞼を閉じている。
ともすれば、あふれる涙で視界が失われてしまいそうになる。その都度、二の腕で拭わなければならない。
血が乾いてこびりついているところはこすり、じょじょに血が薄れてゆく。そのかわり、安富の手拭いが真っ赤になってゆく。
片方の肺は、おそらく伊庭をかばったときの銃創だろう。いつも俊春らがするように、熱した鉄で焼いたにちがいない。火傷の跡がある。が、それが開いてしまっている。そして、もう片方は、たったいまのもの。
つまり、副長をかばって被弾した箇所である。
両方の肺が被弾したことになる。
そのとき、肩に掌を置かれた。
驚きで声を上げそうになった。が、かろうじて口の外にでないようにした。
二の腕で涙を拭ってから見上げると、肩に置かれている掌の先に俊冬の相貌がある。
ポーカーフェイスを保っているものの、肩に置かれている掌が震えているのがはっきりと感じられる。
「ありがとう」
俊冬は、かぎりなくちいさな声でいった。




