理不尽な暴力にざまぁを
いいや。ダメだ、ダメ。
落っこちて地面に尻だの腰だのをぶつければ、打ちどころが悪かったら深刻な怪我になる。
天使と悪魔が耳元でささやいてくる。
だが、いまのおれの決断力は半端ない。優柔不断などでは決してない。
だから、ソッコー決断できる。
で、副長の尻の下で組んでいる腕をほどいた。
「ぐわっ!」
落っこちるはずの副長が、よりにもよっておれの頸に腕をまわしてもちこたえている。
ダメだ。俊春の無事をこの双眸で確かめるまえに、おれが無事でなくなってしまう。
しかも、かれのように敵との戦いではなく、理不尽すぎる上司の陰湿で強烈なパワハラ、究極の暴挙によってである。
「ぐ、ぐるじいいいいっ」
ああ、眼前が真っ白になってきた。これぞ、「ザ・絞殺」である。だんだん気持ちがよくなってきた。
そういうプレイでエクスタシーを得ることができるらしいけど、当然試したことはない。試したいと思ったこともない。
こういう感覚なのか……。
刑事時代にあった、独居中年男の謎の死のことをふと思いだした。
部屋はどこもかしこも施錠されており、外部から侵入された形跡もない。いわゆる密室殺人である。
頸に縄を巻かれての絞殺であった。
が、結局、そういうプレイを試しての事故死というオチであった。
そんな事件もあるくらいである。
なーんて刑事時代の事件を振り返っている場合ではない。
いままさに、おれがそのオチを実践しようとしているのだから。
ってか、だれか助けてくれよ。
背中の副長の重みでのけ反った姿勢から、かろうじて瞳だけでも前方をみようとがんばってみた。
が、すでに俊冬と俊春を囲んでいるみんなは、副長とおれの命がけのコントに気がついていない。
だめだ。
もう逝ってしまいそうである。
マジで洒落にならない。
死をまえにすると、人間ってすっげーパワーをだすことが出来たりする。
背中から思いっきり地面にダイブしてやった。
おれの頸を絞めつづけている副長を背におぶったまま。
地面に叩きつけられたら、おれの重みでかなりの圧がかかるはずである。
ぎゃふんといわせてやる。
そんな姑息なかんがえで頭がいっぱいになっている。
頭上の雲がゆっくり流れてゆく。それをみながら、おれもゆっくり地面にひきよせられてゆく。
が、あともうちょっとというところで、地面への落下が止まってしまった。
「まったく。主計、きみはぼくのことを心配してくれていないんだね。ショックだよ。しかも、命がけのコントを披露してくれるなんて、笑いをとるためならときを選ばず、なりふり構わないんだね」
頭上の雲が黒い影におおわれた。
俊春が、おおいかぶさるようにしておれの相貌をのぞきこんでいる。
「主計っ、この野郎!おれを殺ろうとしたな?」
後頭部に副長の怒鳴り声があたった。
俊春は、副長ごとおれを受け止め抱きかかえているのである。
「そんなこと、よくいえますよね?副長がおれの背中に飛びのってきて頸を絞めるからでしょう?いまのは防衛本能です」
「なんだとこの野郎っ」
「歳さんも主計もいいかげんにしないと。ぽちに負担がかかっているのですよ」
伊庭の相貌もあらわれた。
副長のせいで伊庭に叱られたじゃないか。
伊庭にマイナスイメージをあたえてしまったぞ。
「もうおそい」
「もうおそい」
「もうおそいよね」
「おそすぎるよね」
いくつもの声にダメだしされてしまった。
そこでやっと、副長が背中からとれた。
まさしく、とれたといっていい。
伊庭が掌を差し伸べてくれ、その掌をつかんで起き上がった。
「ぽち、大丈夫なのか?」
副長がおれの台詞をさきにいってしまった。
「ご心配をおかけしました。たいした傷ではありません」
あらためて向かい合った。
かっこかわいい相貌は、心なしか青ざめている気がする。
「あ、ああ」
副長は、納得いったのかそうでないのか、ビミョーな表情でとりあえずいつものように俊春の頭をガシガシと音がするほどなではじめた。
なにせ、俊春は自分の体のことを隠したがる。
耳や目のときだってそうである。
伊庭の軍服に付着していた血のことをかんがえると、どうかんがえたって「たいした傷」程度ではすまないであろう。
そっと俊冬のほうをうかがった。
かれは、一人はなれて腕組みをしている。
ドキッとした。ケガをしているであろう俊春よりも顔色が悪い。表情も、思いつめているというかなんというか、兎に角こちらを不安にさせてくれる表情が浮かんでいる。
視線が合った。しばし合わせたままおたがいの心の中を探り合う。
いや、訂正。
あっちはだだもれをフツーにきいているだけだが、おれはかれの心の中がさっぱりよめないでいる。




