意地をはらずに行ってやれ
「意地をはるな。助けるのは、なにも俊春だけじゃない。矢不来には、おおぜいの味方がいる。一人でもおおくの味方を救う。それは、いまここにいる中では俊冬、おまえにしかできぬことだ。だからこそ、おまえに命じている」
「承知」
物はいいようである。
ってか、副長も素直に「俊春が心配で心配でしょうがないけど、おれがいったところでなにができるわけでもない。というわけで俊冬、すぐにいって俊春を助け、おれのかわりに『いい子でちゅねー』って頬ずりしてやってくれ」と頼めばいいものを。
「ほう。そのくらい、おれにもできるぞ」
なんと、さっきまで俊冬の懐を脅かしていたはずの副長が、いまはおれのそれを脅かしているではないか。
「いい子でちゅねー」
眉間に皺をよせ、真顔でいったかと思うと、拳で頭をぐりぐりされた。
「副長、痛いっ。めっちゃ痛いです。すみません。ほんのジョークです。あまりにも深刻でしたから、つい和ませたくなったのです」
頭に穴があきそうである。
「かような馬鹿は放っておいて、さっさといけ」
やっと拳ぐりぐり攻撃から解放された。
副長が急かすと、俊冬は一礼してその場から消えた。
消える瞬間、かれはおれに視線を合わせてきた。
口の形だけで、かれはいった。
『ありがとう、ハジメ君』
俊冬、頼んだぞ。
矢不来のある方向に視線を向けた。
俊春の無事を祈るばかりである。
「相棒、おまえはいかなくっていいのか?いっていいんだぞ。二股口から、もう撤退することになるだろうから、俊冬と俊春についていてやってくれ」
左脚許でお座りし、おれとおなじ方向をみつめている相棒にいった。
が、相棒はなんのリアクションも起こさない。
それこそ、いつもの「ふんっ」というような塩対応すら。
が、しばらくするとすっくと立ちあがった。それから、とことことあるきはじめた。
矢不来のある方向にではなく、副長たちがいる方向へ。
「いいのか?おい、相棒っ」
慌てて追いかけた。
俊春のことが心配だろう。それから、その俊春を心配しまくっている俊冬のことも。
残念ながら、おれには相棒の気持ちがわからない。なにを思い、かんがえているかわからない。
だから、相棒の意を尊重することしかできない。
もう一度矢不来のある方向に視線を向けてから、相棒を追いかけた。
結局、数日はやく二股口から撤退した。
だれもがそれどころではないからである。
思いは、どうしても俊冬と俊春に向いてしまう。
小競り合いの最中や警戒しているときでさえ、ついかんがえてしまう。
気になって気になって落ち着かない。
史実ではあと数日二股口で踏ん張らなければならないが、数日くらいの誤差など些末なことである。
というわけで、撤退をした。
俊冬と俊春を心配するあまり、超絶不機嫌な副長が撤退命令をくだしたとき、滝川はなにもいわなかった。
眉間の皺はもちろんのこと、全身から噴出されまくっている不機嫌なオーラに怖れをなしたのかもしれない。
当然、副長のことを心酔しているっぽい大川に異論があるわけもない。
撤退は、迅速かつスムーズにおこなわれた。
五稜郭へ戻ると、先に戻っていた人見と伊庭にきいたのか、市村と田村が不安気に出迎えてくれた。
榎本は、矢不来よりまだ箱館にちかい有川に出張っている。結局、榎本みずから指揮をとる有川での戦いも負けてしまうのだが、踏ん張りどころの有川には、さすがに総裁みずからが指揮をとることで士気を高めたい、という意図があるにちがいない。
ありがたいことに、榎本は小姓であるはずの市村と田村を同道させなかった。
史実では、榎本、それから大鳥は、副長亡きあとでも一人残っている田村に退避するよう何度もすすめたらしい。が、田村はそれを突っぱねる。
かれにはかれの意地があったにちがいない。
それは兎も角、つぎからつぎへと敗走兵がやってくる。
が、俊冬と俊春の姿はない。おそらく、榎本や大鳥が退くまでフォローに徹するつもりなんだろう。
ということは、俊春の具合はすくなくともそこまで深刻ではないということになるのだろうか。いや。もしかすると、深刻すぎて動けないって可能性もある。
唯一、相棒がそこまで動揺している素振りをみせないことが、わずかながら救いである。
相棒がおれたちを心配させぬよう演技をしているのではないかぎり、いつもよりじゃっかんソワソワと落ち着きがないという程度である。
榎本、それから大鳥が五稜郭にもどってきたときには、副長の忍耐力がつきかけていた。
あと半日、いや、数時間遅かったら、副長は「竹殿」に跨り、有川に向かったかもしれない。
もっとも、それはおれたちにもいえることである。




