泥人形見参
一方、おれたちも迫りつつ敵に備えて準備を整えている。
副長が合図を送ってきた。
それぞれのポイントで、全員が射撃体勢に入る。
さすがに緊張してくる。
敵がこちらに気がついたようである。
敵の方が、こちらよりよほど緊張と不安にさいなまれているらしい。
敵は、指揮官が命令を下す間もなく発砲してきた。
いつも開戦はあっけない。
だいたい、こういうものなのかもしれない。
明後日の朝までつづくことになる第二次二股口の決戦の火蓋が、いよいよ切って落とされた。
史実どおりの大激戦である。
銃身を冷やすための水は十二分に準備をしているものの、到底追いつきそうにない。
射撃する組と交代すると、休むことなく水の追加補給に奔走する。その繰り返しである。
相棒も休みなくおれたちの背中を護ってくれている。
これだけ大人数がドンパチしているのである。
たとえ耳がきこえず、慢性鼻炎で鼻もきかないっていう鈍感な羆であっても、戦場にちかづいてくることはないだろう。
もっとも、羆だけを警戒しているわけではない。敵の小部隊が後背にまわる怖れは十二分にかんがえられる。
それを警戒してもいる。
「わんこがきた」
何度目かに射撃を交代したタイミングで、俊冬が知らせにきてくれた。
俊春が、伊庭のいる木古内から戻ってきたのである。
そのころには、また小雨が降りはじめていた。降ったりやんだりという、誠に面倒な天気である。
俊春は人海戦術をとってくる敵の部隊を、ちょうどいい場所に導いてくれる。
おれたちは、そこにただやみくもに弾丸を撃ち込めばいいだけである。
陽が暮れ、敵もいったん退いたようである。暗くなってから仕切り直すつもりに違いない。
持ち場から副長のいる土塁胸壁に行くと、島田や蟻通、それから滝川と大川が集まっていた。
みんな、すでに疲労の色が濃い。
「土方さん、夜になれば敵の気力も弱まるはずです。その機に夜襲をさせてください」
ムダにヤル気満々の滝川が申しでると、ソッコーで大川がダメだしをした。
「ということは、こちらも同様だ。それに、敵も夜襲は想定している。その準備も怠ってはおらぬであろう。夜襲をかけたとて、返り討ちにされるだけだ」
「なんだと?やってもいないのにわからぬではないか」
「やめぬか、滝川君。きみの心意気は頼もしいかぎりだが、大川君の申すとおりだ。こちらがそれに備えているように、敵も備えている。夜襲を仕掛けるのは、まずいであろう」
副長が二人の間に割って入った。
途端に滝川の表情に、蔑みの嘲笑が浮かんだ。
こいつ……。
そう思ったが、大人なおれはポーカーフェイスを保つよう心掛ける。
「持ち場に戻れ」
滝川が副長にそう命じられて舌打ちとともに踵を返した瞬間、その行く手をはばむかのように泥の塊があらわれた。
「ひいいいっ!」
滝川は情けない悲鳴とともに、尻もちをついた。
「な、なんだ?」
それから、震える声で叫んだ。
もっとも、驚いているのはかれだけではない。
おれたちも唖然とみつめてしまっている。
「伝習隊の若きエースをいたずらにビビらせるな」
俊冬が嫌味を炸裂させると、泥人形に白い歯があらわれた。
陽が暮れ、火を焚けぬ状態である。
ホラーチックな状態のそれから、腕のようなものが滝川に向かってぬうっと伸びた。尻餅ついたまま後退りするかれにかまわず、その肩をつかんで軽々と引き上げて立たせてやる。
「脅かせてごめん」
泥人形がしゃべった。
その声は、まぎれもなく俊春のものである。
おれには、泥人形の元ネタがすぐにわかった。
「稀代の暗殺者は、ここまで完璧に偽装をして獲物を確実に仕留めるのだ。きみも突撃して敵を倒したいのであれば、それ相応の覚悟を持つべきだ。けっして意気込みだけでは成し遂げぬのだから」
俊冬が丁寧にアドバイスをしてやったというのに、滝川はますます依怙地になったようである。
さらにおおきな舌打ちをし、足早に去ってしまった。
俊春につかまれた肩から、泥を落としながら。
「ぽち?それはいったい……」
かれの背を見送ってから副長がいいかけたところに、大川が頭を下げた。
「重ね重ね申しわけございません。けっして悪いやつではないのです。無鉄砲と申しますか身の程知らずと申しますか……」
「大川君、きみが謝罪する必要はない。大鳥さんには、ああいう性質の部下のほうがいいのかもしれぬな。だが、無鉄砲や身の程知らずが、自身や部下や味方を窮地に陥れることもある。そこをわかってくれればいいのだが」
「陸軍奉行並のおっしゃる通りです」
大川は、きっちり頭を下げてから去っていった。
俊春をめっちゃ避け、遠まわりをしたところが草だったが。
「滝川君は、やるつもりです。それがいつなのかまではわかりませんが、自分の判断で部下とともに突撃するつもりです」
俊冬の警告に、副長は一つうなずいた。




