苛立ち
「副長、ご心配なく。黒田先生に抱かれるようなことは、いたしません」
俊春は副長をまっすぐ見据え、そう宣言すると姿を消した。
そのあとすぐ、副長はなにもいわずに立ち上がると、表門があるほうへあるいていってしまった。
「どういうつもりなんだ?副長があれほどそういうことを嫌っているのをわかっていて、ぽちにそんなことををさせるなんて」
副長の背中が闇にまぎれてから、焚き火の向こうにいる俊冬を非難してしまった。
が、かれはなにもこたえない。
それどころか、銃を引き寄せると手入れのつづきをはじめた。
「シカトするなよ。いくらなんでも、ぽちにそこまでさせる必要があるのか?」
「わかっている」
焚き火の向こう側でかれがいった。
かれの掌は、たしかに銃をさわっている。だが、意識はそちらに向いているわけではなさそうだ。
「副長のいうこともきみのいうことも理解している」
かれは視線を銃から上げ、こちらにそれを向けてきた。焚き火をはさんでいてさえ、両瞳がなんともいえぬものに彩られていることがみてとれる。
「きみも副長もやさしすぎる。そして、戦争を知らなさすぎる。人間の心というものは、そんなに甘いものじゃないんだ」
「それは、きみもおなじだろう?だったら、なにゆえ殺らない?副長のいう通り、黒田先生を殺ってしまうべきだろう?」
「だから、きみは戦争を知らなさすぎるといっている。たしかに、暗殺するのが一番手っ取り早いよ。だけど、だれが黒田先生を殺ったかは火をみるよりも明らかなことだ。かれが味方のだれかに恨みを買っていて、味方に殺られたのだとしても、敵はおれたちが殺ったと決めつける。そして、報復してくる。さらには、黒田先生のかわりなどいくらでもいるということだ。かれが唯一無二の存在ではないのだから。きみ自身が語った戦後の黒田先生の行動から、かれは情に厚く人一倍義侠心が強いことがわかる。そこそこに頭も切れる。かれは、宮古湾でわざとおれたちを逃してくれた。かれは、気がついたんだ。俊春が春日に細工をしなかったということを。だから、おれたちを見逃してくれた。もっとも、理由はそれだけじゃない。連合軍であるがゆえに、複雑な事情もある。だが、おおむねあいつに惚れているからという理由がおおきい」
返す言葉もない。
言葉を返そうにも返せない。
なぜなら、かれのいう通りだからである。
「情に訴えるのが最上策だ」
かれは、そこで視線をそらした。
「そうだな。副長もおれも、戦、いや、本当の意味での戦争の何たるかを知らない。すべてきみのいう通りだ。そう頭ではわかっている。しかし、やはり心では釈然としない。納得ができない。だって、そうだろう?おれたちのために、かれが……、かれがそういうことをやっているって、かんがえたくもないしかんがえられない」
「きみや副長は、本当にやさしいな」
一瞬、嫌味かと思ったがそうではなさそうだ。
「撃つごとに傷んでいくからといって、銃を撃たないのとおなじことだよ。いっただろう?おれたちは、対テロ、戦争のためにつくられた兵器だ。銃や刀とおなじことだ」
「銃や刀には感情がない。だが、きみらはちがう」
「おなじことさ」
「じゃあ、きみのイライラはどういう理由からだ?」
焚き火の向こうに投げかけた。
相棒はおれのすぐ横でお座りをし、おれとおなじように焚き火の向こうにいるかれをじっとみている。
「おれが苛立っている?」
「きみは、自分の気持ちを無理矢理ごまかそうと躍起になっている。だから、そんな単純な気持ちにも気がつかない。いまだけのことじゃないけど、きみは俊春がかかわることにたいして、いつも相当苛立っている」
そう断言してやると、かれは鼻を鳴らした。
「いまに関していえば、性的虐待というトラウマのあるかれに、男に抱かれるよう強要する自分自身が許せないでいる。そうだろう?きみはいろいろ大義名分をこじつけることで、自分自身を慰めている。無理くりに自分自身を納得させようとしている。正直、かれよりきみをみているほうがよほどつらいよ。副長がなにもいわずに去ったのも、きみをみていたくなかったからだ。きみと副長って、マジでそっくりだよな。副長もつらい命令をだしたり強要したりするたび、自分自身を傷つけている。だから、副長はきみの気持ちをよくわかっている。おれなんかよりずっとな」
いったん口を閉じ、焚き火の向こうにいるかれをみた。
かれの視線は、先ほどとおなじように自身の手許の銃に落ちている。だが、いまはもう銃を整備するふりすらしていない。
「親父や副長への恩返しとかおれへの気づかいとか、そういうものなんだったらもういい。きみらは、すでに充分すぎるほど恩は返してくれている。それに、おれはきみらが側にいてくれているだけでいい。そもそもこの時代のことは、おれたちには関係のないことだ。ぶっちゃけ、いまからでもおれたち四人でどこかにいってもいい」
そこで、いったん言葉をきった。




