桑名少将がやって来た
「桑名少将?」
副長がさきにそうと気がついた。
暗がりから焚き火の灯に照らしだされ、おれたちの前にあらわれたのは桑名少将である。
かれは、まっすぐこちらにやってくる。
全員、一斉に立ち上がった。
「気をつかう必要はない。座っていてくれ」
桑名少将は、近づいてきながらそういった。
軍服は脱いでしまったようだ。
フツーのシャツにグレイのジャケット、同色のスラックスという出で立ちである。
座れといわれても、そうもいかない。ゆえに、だれも座らず突っ立っている。
桑名少将は痩せた肩をすくめると、副長の隣に胡坐をかいた。
『せっかくのスラックスが汚れますよっ』
思わず、口からでそうになった。
「相馬、案ずるな。汚れなど、掌で払えばすむことだ」
そのとき、桑名少将が焚き火越しにおれと視線を合わせていった。
ちょっ……。
も、もしかして、桑名少将にまでよまれている?
おれの両隣の俊冬と俊春は、肩を震わせて笑っている。もちろん、焚き火の向こう側にいる副長も笑っている。
「さあ、これでおまえたちも座らざるを得ぬであろう?」
桑名少将に促され、胡坐をかいた。
本来なら正座なんだろう。が、まさか地面の上に正座するわけにもいかない。
「筵をもってこようか?その上に正座をするといい。大岡〇前」にでてくる極悪非道な罪人みたいでクールだよ、きっと」
「なんでおれが極悪非道な罪人なんだよ。それに、そんなのクールじゃないし」
俊春にささやかれ、ダメだししてやった。
「じゃあ、「遠山〇金さん」?背中の桜吹雪、マジでクールだよね」
「ぽちは、ほんとうになんでもクールなんだな。ってか、きみらはベタな時代劇まで網羅しているのか?」
「「水〇黄門」とか「必殺〇事人」とか、大好きだよ」
「マジかよ」
俊春は渋すぎる。シンプルに渋い。
「そういえば、きみらの義母は「中〇主水」の義母にそっくりだったよな」
俊冬と俊春に出会ったとき、俊春は京の東町奉行の番方同心を装っていた。そのときのかれの義母が、女優の「菅〇きん」にそっくりだったのである。
「ああ、あれにはびっくりだった。出会ったとき、彼女のことをにゃんこと五度見したよ。だから、中村って姓にしたんだ」
たしか、かれに「中〇主水」って名前じゃないですよね?」、と尋ねた気がする。
兎に角、かれの義母を装っていた女性は、かの名女優に激似だった。
現在、彼女とその実の娘のお美津さんらは、丹波で沖田や山崎らの面倒をみてくれている。
ってあのときすでに、俊冬と俊春は現代人であることの布石をうっていたってわけか。
感服してしまう。
俊春とそんな時代劇の話で盛り上がっている場合ではない。
桑名少将と副長と俊冬は、ぼそぼそと話をしている。
俊春もおれもふざけ合うのはやめ、そっちの話に耳を傾けた。
桑名少将は、ここ数日のうちに蝦夷を発つらしい。
俊冬と俊春が史実にそうよう、アメリカの商船を手配した。
史実では、桑名少将は蝦夷から横浜経由で上海に渡るも、資金が尽きて舞い戻り、結局横浜で降伏することになる。
それがわかっているのである。上海行きは省いてもいいかもしれない。資金の無駄遣いでもある。
正直なところ、史実で資金が尽きたというのも「ほんまかいな?」って思ってしまう。最初に上海までいくら、と提示されて横浜を発ったのはいいが、道中になんらかの上乗せをされて払えなかったのではないだろうか。
よくあるパターンである。
いわゆる足元をみられてふっかけられるってやつである。
「降伏してからでも金子はあって困るものでも邪魔になるものでもない。ゆえに横浜で潜伏し、時期をみて降伏しようかと思っている」
「少将。やはり、そのまま亡命なり逃走というのは……」
「土方、わたしに選択肢はない。降伏する。それしかないのだ」
ひとえに、実兄の会津中将のために、というわけであろう。
ここでもまた、史実を伝えたばかりにそれに囚われてしまっている男がいる。
「相馬、気にするな。逆に感謝している。このことをきかなければ、わたしはここに最後までいたであろう。そうなれば、兄容保の処分がどうなったことか。おまえのお蔭で、兄は死ぬことはない。それだけが、わたしにとっては慰めだ」
またしてもよまれてしまったということはおいておいて、少将はおれに気をつかってそんな風にいってくれた。
おれのほうこそ、いまのかれの言葉が慰めになったことはいうまでもない。
自然と頭を下げていた。すると、桑名少将も軽く頭を下げてくれた。
「さて、と。ここからが本題だ。土方、きいてほしい」
桑名少将は、隣に座る副長に相貌を向けた。
副長がちょっぴり緊張の面持ちでうなずいた。
指名された副長だけではない。
おれも緊張している。
おそらくは、人類の叡智たちも同様であろう。




