パウンドケーキとカルシウム
「鉄、銀。五稜郭に残るといってもな、危ないぞ」
「危なくなったらすぐに逃げます。ねぇ、鉄ちゃん?」
「うん。それに、邪魔にならないようにもします」
「仕方がないなぁ」
「じゃあ、わたしも五稜郭にいていいですか?いい子にしています」
「って、利三郎っ!てめぇ、何いっていやがる?」
「利三郎は死にましたって」
お馬鹿な野村のおねだりに、副長は激おこである。が、だれかが笑いだした。
そのとき、不意に俊春が歩を止めたらしく、それに気がつかずにかれにぶつかってしまった。
かれは、おれごときにぶつかられたくらいではびくともしない。
かれとその脚許にいる相棒は、体ごと振り返って大笑いしている副長たちをみているようである。
いや。一人だけ笑わずにこちらをみている者がいる。
俊冬である。
俊春と相棒は、かれをみているのだ。
「きみのダダもれをフォローするために、きみを連れだしたつもりだったんだけど……。利三郎と鉄と銀はちゃんとそれに気がついて、ああやって副長の気をひいてくれた。それは、ある意味ではぼくらの能力よりもすごいことだよ」
「そうか。きみにもかれらにも気をつかわせたな。そうだよな。あのままおれがあそこにいたら、副長によまれてしまったにちがいない。だが、たまにはよまれているだろうけど」
「かまわない。かれは、とうていごまかせないよ。いこう」
かれは握っていたおれの軍服の袖を開放し、回れ右をしてまたさっさとあるきはじめた。
五稜郭の厨で副長と島田と俊冬の分のコーヒーを淹れる間、俊春と会話がなかった。
先程かれに尋ねられなかったことを、尋ねるのか尋ねないのかを迷っている。
正直、怖い。だから迷っている。
コーヒーを淹れおわり、盆の上にそれを並べた。
かれは納戸にゆくと、引き戸を開けてそこに腕を突っ込んで何かを引っ張り出した。
そして、かれは無言のまま取り出してきた箱のふたを開けた。すると、このまえのパウンドケーキが二本、並んでいる。
「わお。まだ残っていたのか」
「うん。悪くなったらもったいないから、切って持っていこう」
「もう一杯コーヒーを吞みたくなるな」
「あと三人分くらいならなんとかいけると思うよ」
「最高だよ」
かれがパウンドケーキを切っている間に、鍋に残っているコーヒーを湯呑みに淹れた。湯呑みになってしまったのは、カップがなくなってしまっていてそれしか残っていないからである。
カップを回収してくればよかった。
まぁカップだろうが湯呑みだろうが、呑んでしまえばおなじことだけど。
そして、それぞれ盆を胸元に抱えて厨をでた。
相棒は、渋谷の忠犬の銅像みたいに厨のまえで待ってくれている。
「それで、さっきからなにをいいたいの?」
俊春は脚許でフツーのワンコみたいに跳ね回っている相棒に、「パウンドケーキは、ちゃんと兄さんの分もあるから」といった。それから、おれにかっこかわいい相貌を向け、そう尋ねてきた。
そうなのである。パウンドケーキのことについ意識が向いてしまったが、かれに尋ねたいことがあるのである。
それを尋ねるかどうか、ずっと悩んでいる。
パウンドケーキに気をとられる程度の悩み、とツッコまれればイタイところではある。
だが、その悩みはけっこう深刻の部類に入る内容ではないのかと、自分では思っている。
「だから、いったいなに?」
かれは、イライラしているようだ。
きっとカルシウム不足なんだ。
じつは、イライラするのがカルシウム不足というのは俗説である。
カルシウムには、脳神経の興奮を抑える働きがあるらしい。そのため、カルシウム不足がイライラに直結するとかんがえられがちである。そもそも、カルシウムは血液中で一定になるよう貯蔵庫である骨から血液中に放出され、逆に過剰状態になると骨に取り入れられたり、尿中に廃棄される。そうやって調節されるのである。したがって、カルシウムを摂取しないからといっていつもイライラ状態であったり、逆にそれを摂取したからといってイライラしないというわけではない。
「ねえ、そんな蘊蓄はいらないよ」
「よむなっていっているだろう?ああ、ちがった。ダダもれは、スルーしてくれよ」
まったく、スルーするのがマナーだろう?
ってこの心のつぶやきは、スルーされてしまったようである。
「きみのことだ、俊春」
マジな表情でいった。
おれが歩をとめると、かれもまた立ち止まって体ごとこちらに向き直った。
「ぼく?ぼくのなに?」
かれはよんでいるくせに、こういうときには知らぬ存ぜぬを装ってくる。
すると、かれは華奢な両肩をすくめた。
「きみは、だれの影武者をやるつもりなんだ?」
無意識のうちに、詰問口調になってしまっていた。
相棒が、かれからおれへと視線をうつしてきた。
ってか、またもやめっちゃにらんできている。
「とりあえず、利三郎のはやったけど?」
「とぼけるなよ」
先程より、いい方がきつくなってしまった。
「きみも、たま同様だれかの身代わりになるんだろう?きみも死ぬんだろう?きみも死にたがっているんだろう?」
つぎからつぎへと問いを重ねた。
「だったら?だったらきみはどうするわけ?それを知ったところで、きみはどうするの?俊冬同様、ぼくをとめる?きみが止めるの?」
かれもまた、負けずに問いを重ねてきた。




