鉄よ、どうか気がついてくれよ
「銀、頼むからその『ファックでシット』はやめてくれないか。兎に角、副長につかわれるからとか、そういうことじゃない。鉄、蝦夷から脱出して日野にいくことをどう思うかって尋ねているんだ」
「なに?それって、わたし一人でってこと?銀ちゃんは?」
「銀は、蝦夷に残る」
「どういうわけなの?副長は、わたしがちょっとぬるくて薄い茶をいれるからって、わたしだけ追いだすわけ?なんなの?だったら、主計さんだってそうでしょう?」
「はあああ?鉄、論点がズレているって」
これは、ダメだ。
副長の理由とはまたちがう意味で、おれにはとうてい説得できそうにない。
だいいち、そもそもの問題にすら気がついてもらえぬのである。
どうしよう……。
正直、途方に暮れている。
もはや鉄にはなにをいっても、こちらが意図する認識はされないだろう。ということは、こちらが意図する気持ちをしることができない。
これはもう、俊冬と俊春に仕切り直してもらったほうがよさそうだ。
相棒にチラリと視線を向けてしまった。
さしもの人類の叡智も、犬型のため人語を話すことはできない。
誠に残念である。
そういえば、犬語翻訳アプリなるものがあったか?
当然のことながら、いまここでそれをダウンロードすることはできない。
重ね重ね残念でならない。
相棒がおれをみた。
『フアー』
口を開け、大あくびである。
わかっている。どうせ、馬鹿にしているか呆れかえっているんだ。
いまの場合は、犬語翻訳アプリなど必要ない。
「ヘイ、ガイズ!」
そのとき、遠くの方からそんなアメリカンチックな呼びかけをされた。
この声、それと場違いな英語をつかってくるのは、この世にたった一人しかいない。
「ジョンだ」
「ジョンッ」
市村と田村が反応した。
子どもらは、すぐに順応する。
すでに野村あらためジョンに慣れきっている様子である。
ってか、またややこしいやつがやってきたじゃないか。
イヤな予感しかしない。
野村あらためジョンは、こちらに駆けてきた。
「ハウ・アー・ユー?」
「プリティ・グッド」
「グッド・サンクス」
とつじょ基礎英会話講座がはじまってしまった。
「カモーン・ウケ」
野村あらためジョンが、ノリが悪いとばかりにあおってきた。
って、なんで『受け』なんだよ?ってかそれってば、名前でも二つ名でもないし。
「So bad」
気分がいいわけがない。
「ホワイ?」
「いいかげんにしてくれ。ふざけている場合じゃないんだ」
「だから、なぜ?なぁ、なぜだ?なぜなぜなぜ?」
新撰組は、いつから保育園になったんだ?
三歳児がおおすぎる。
「鉄におれの気持ちが伝わらないんだよ」
「な、なんだって?」
野村あらためジョンのやつ、いくら外国人、ってか異国人かぶれしているからって、驚き方がおおげさすぎる。
「おまえ、大丈夫か?」
「なにが?まぁ、ある意味大丈夫じゃないけど」
「いくらなんでも、鉄はまだ餓鬼だぞ。その餓鬼に懸想するなどとは……。おまえはオールマイティーなんだな」
「はああああああ?おま……、なにトンチンカンなこといっているんだよ。そっち系なわけがないだろう?」
やはり、話がややこしくなってきた。
いや、すでになっている。
ダメだ。話ができる以前にまったく通じないのである。
相手にするだけ時間のムダだ。
軍服の胸ポケットからマイ懐中時計を取りだした。
称名寺をでてから、すでに三十分は経過している。
相棒を、遠方のドッグランに連れていっているわけではない。
もう間もなく、朝餉もはじまるだろう。
タイムアウトだ。
「鉄、もういいよ。後ほど、あらためてぽちたま先生から話をしてもらうから。そろそろもどろう」
なんの成果もなかった。
がっくりしながら、かれらに背を向けた。
「主計さんっ!」
市村にするどく呼ばれ、『まったくもう。なんだよ?』って思いながら体ごと向きなおろうとした。
その瞬間、なにかがぶつかってきた。
「いやだよ。一人にしないで。どこにもいきたくない。新撰組において。いい子にするから。ちゃんと熱くて濃いお茶をいれるから、新撰組から放りださないで」
市村である。
かれは、おれの肩に顎をのせ、泣きじゃくっている。
そうか。ちゃんと理解していたんだ。かれなりに動揺を隠し、明るく振るまおうとしていたんだ。
ってかやっぱ背、抜かされているじゃないか?
フツー、抱きついてきたら胸のなかで泣きじゃくるよな?
それが、おれの肩に顎をのせてる?
これが俊春だったら、頭の上に顎をのせて泣きじゃくるんだろうな。
そんな個人的なショックは兎も角、とりあえずかれに腕をまわして抱きしめかけた。
慎重にならなければ、野村あらためジョンの大馬鹿野郎に、おれが世紀の変態野郎ってな勢いで、あることないことデマを拡散されてしまう。
そうなれば、BL的黒歴史だけでなく、性犯罪者的黒歴史まで刻まねばならなくなる。
野村あらためジョンに視線を向けると、案の定ニヤニヤ笑いながらこちらをみている。
田村はその隣でもらい泣きしているし、相棒はすました狼面でこちらをみている。




