伊庭が新撰組に来たがる訳
「人見さん。たまが話したこととおれが話したことを信じる信じぬは、あんたの勝手だ。だが、この頼みだけはきいてもらいたい。今宵、あんたにきてもらったのは、この頼みをきいてもらいたかったからだ」
副長はまっすぐ人見をみつめた。人見も、副長をみつめている。
いまの人見の双眸や表情からは、あいにくかれがどう思っているか、感じているかを読み取ることは難しい。
ましてや、これまで話をした内容を信じているか否かも。
「八郎のことは、餓鬼の時分から知っている。ずいぶんと生意気な餓鬼でな。総司、沖田総司っていう弟分なんだが、総司と二人でおれをからかったりちょっかいをだしてきたりと困らせてくれた。が、憎めなかった。二人とも、おれにとっては弟みたいなもんだ。八郎はいいところの坊で、剣術をやりはじめてからは、その才能で周囲をわかせた麒麟児だ。それなのに、おれたちのような百姓くずれにもフツーに接してくれた」
副長は、そこで言葉をきった。
伊庭をそっとみると、キラキラ光る相貌をわずかに伏せている。
子どもの時分のことを思いだしているのだろうか。
「すまぬ。うだうだ申したが、つまり八郎を死なせたくない。ゆえに人見さん、あんたに協力をしてほしい。それが、おれの頼みだ」
沈黙に支配された。
いまの副長の不器用ながらも必死の願いを、人見はどう受け止め、どう答えるのか。
だれもが気になっている。
「チチチ」
燭台で油が燃える音が、やけにおおきくきこえてくる。
だれもが人見のリアクションをまっている。
そのとき、人見が掌をのばしてカップの柄に指をかけようとした。
すでにコーヒーはなくなっている。
そのことに、人見も気がついたようだ。
指が途中で動きを止めた。
おそらく、緊張や動揺といったもろもろの感情をどうにかしようと、とりあえずは喉を潤そうとしたのだろう。
カップの柄にかけようとしていた二本の指は、所在なげにこすり合わされ、それから膝の上に戻った。
かれの視線がまずは副長に、それから伊庭に、さらには俊冬と俊春に向けられ、最後におれへと巡ってきた。
「正直なところ、かれらのことについての話は、信じていいのかどうかわかりません」
かれはそういいながら、おれから俊冬と俊春に視線を移した。それを、最終的には副長へ向け、そこにとどまった。
「ですが、八郎が死ぬということだけは信じます。土方さん。あなたにしろたまにしろ、いいかげんなことや虚言を申されるようには思えません」
人見は、そこで言葉をとめた。視線をほかへむけることはせず、しっかりと副長を見据えている。
ってか、人見まで俊冬のことをたまと呼んでいるが、もしかして俊冬が「たま」という名だと思いこんでいるのではなかろうか。
って、そこはいいか。
「わたしは、なにをすればいいのでしょうか。いかなることでも協力いたします。いっそ、八郎は松前に残したほうがいいのなら、そうします。否、そうしたほうがいいですよね」
人見は、いっきにいった。
よし。おれたちのことは兎も角、伊庭を救う手助けはしてくれるというわけだ。
これなら、伊庭の生命が助かる可能性が格段に上がる。
「恩にきる」
副長は、人見に頭をさげた。
そこまで伊庭のことがかわいいんだ。
ちょっとジェラシー、いや、うらやましい、いや、感動的だ。
「いえ。礼を申さねばならぬのはわたしのほうです。八郎になにかあったら、わたしはなにかと不便になります」
はい?
いま、なんていった?
フツー、こういうシチュエーションだったら『わたしは悲しい』とか『わたしは寂しい』とかじゃないのか?
『不便』ってきこえた気がしたのは、きっと錯覚か幻聴かだったんだろう。
「八郎がいなくなると、さきほどのように居眠りをしたら起こしてくれる者がいなくなります。戦に関していえば、作戦を立てたり指揮をとったりする者がいないので困ります。さらには、雑多な用事を要領よく的確にこなしてくれる者がいない。わたしは、かように不便なことは耐えられそうにありませぬ」
人見は、どれだけ『不便』であるかをとくとくと語っている。
そっと周囲をうかがうと、副長も島田も蟻通も俊冬と俊春も、ついでに縁側の向こうの庭にいる相棒も、そんな人見を唖然とした表情でみている。
なるほど……。
伊庭が新撰組に移籍したがったり、おれに「主計は、みなから愛されている」と、とんちんかんなことをいったりする気持ちがすこしだけ理解ができた気がする。
「というわけで、不便をなくすためでしたら、なにがなんでもがんばります。ゆえに、なんでも申しつけてください」
そして、人見は言いたいことを言いきった。




