日の本の遠い未来・・・
黒谷の門前まで送ってくれたのは、手代木である。
じつにねっとりとした瞳をもつ男だ。
かれが局長と井上と話をしながらまえをゆくのをうしろからみながら、かれがなんだったかを必死に思いだそうとする。
「副長、手代木殿は・・・」
すぐまえをあるいている副長の袂をひっぱりながら、小声で尋ねてみる。
坂本への説得をまだつづけていたので、手代木から距離を置き、歩調をゆるめている。
「手代木殿?ああ、田中殿とおなじで、おれたち新撰組の世話役だ。桑名藩をはじめとした、他藩との折衝役でもある」
教えてくれた副長の言葉には、いつもとちがう含みのようなものがある。
それがひっかかる。
「ふんっ、ご本人には申し訳ねぇが、兄貴というだけで、正直、かかわりたくねぇよ。なぁ、土方さん?」
永倉の言葉が、うしろからきこえる。
「兄貴?いったいだれの・・・」
そこではっと思いだす。
そうだ、手代木・・・。苗字が違うのでわからなかった。
見廻組の佐々木只三郎の実兄だ・・・。
会津戦争において、篭城していた若松城より脱出して米沢藩に駆け込み、新政府軍への降服の仲立ちを頼む。それにより、会津戦争が終結する。
「新八、ここではやめとけ」
副長が小声でたしなめると、永倉は両肩をすくめる。
「で、おめぇだよ、坂本・・・。黒谷からでりゃぁ、もう他人同士だ。最後にもう一度だけいうぞ・・・。京からでやがれ。なにかをやりたいんだったら、おめぇんとこの会社かなんかのとこに、口の立つやつの一人や二人いるだろうが?そいつらに交渉させりゃぁいい」
副長は、さらに声を潜め、距離を置いてあるいている坂本に忠告する。
すでに陽は落ち、要所要所に篝火が焚かれている。
「はや、その話はいいがやないかね」
その篝火の光を背に、坂本はにんまりと笑いながらかえす。
「いいから、黙ってききやがれ」
副長は、坂本に腕を伸ばすと着古した着物の袂をむんずと掴み、自分にひきよせる。
意外だ。副長が坂本のことを、これだけ心配するとは・・・。
「この主計にはな、おれたちにはねぇ力がある。その主計が、おめぇのことが、おめぇの生命そのものが、あぶねぇっていってるんだ」
それまで笑顔だった坂本から、笑顔が消える。
が、それもほんの束の間のことで、すぐにまた笑みが浮かぶ。
「わかっちゅうが。すでに忠告されちゅう。やけど、あしは、あしのやりたいことをやりとおするがで。ほき、船で異国にゆきたいやか。異国でこじゃんといろんなことをみたりきいたりしたいがやきす」
すでに、それを忠告している。
そしていままた、副長もそれをおこなった。
それをききいれぬばかりか、その壮大な夢とやらに、副長をはじめ、だれしもが驚く。
「土方さんたちは、自分のさきのことを教えてもろーちゅうか?ほき、自分の信じるもの、すすむべき道をかえたいなが?」
その問いに、副長がその場で歩を止める。
いや、止めさせられた。ほかの者たちも同様である。
「坂本さん」
つい口を、開いてしまう。
「局長も副長もほかのみなさんも、おれのことをしっている人で、おれにきいてきた人は、だれ一人としていません」
真実である。
遠い未来のことを尋ねても、だれ一人として自分自身の将来を尋ねてくることはない。
坂本も、歩を止めている。おれを真正面からみつめる。それから、いつものにんまりとした笑みを浮かべる。
「あしもぶっちゅうやか。ただ一つ、こればあは教えとおせ。この国が、どうなっちゅうかを・・・」
「戦のない、平和な国です。なにより、いま、あなたがやっていることがあったからこそ、おれたちのほとんどがなに不自由なく、平等な暮らしを享受できています。坂本さん、これだけは伝えておきたい。あなたの功績はおおきい。それは、この国の歴史のなかで、もっともたるといっても過言ではない。だからこそ・・・」
即答する。
おれの背後にいるだれかが、息を呑んだのが感じられる。
「ほき充分やか。相馬君、伝えてくれて感謝するがで。土方さん、おまさんにも感謝するがで。そうなが・・・」
坂本は、おれの肩を、ついで副長の肩を、それぞれおおきくて分厚い掌で叩く。
それから、近眼をとおくのほうへと向ける。
坂本への説得は、失敗におわった。
このとき、坂本はその瞳で、いったいなにをみていたのであろう・・・。