手放したくない
一方、田村のほうは箱館政権のVIPの一人である幕臣で陸軍隊の隊長を務める春日左衛門の養子になる。しかし、史実ではその春日も戦死してしまう。田村は、最後まで蝦夷に残る。榎本や大鳥が脱出するよう説得するも、断固拒否。
結局、敗戦後捕虜となってしまう。
が、榎本の働きかけで早々に釈放される。
その後、かれは明治政府に出仕する。西南戦争では、陸軍士官として参加することになる。
たしか、大正時代に談話会に参加して戊辰戦争の談話を残しているはずである。
かれは、大正十三年に六十七歳で死ぬと記憶している。
かれらの将来のことは兎も角として、さしあたっていまである。
はたして、市村が蝦夷を去ることを了承するだろうか……。
まぁ、かんがえるまでもないか。
ぜったいに拒否るにきまっているのだから。
「くそっ!おれに説得できるわけがない。説得する自信がまったくない」
副長は木に背中をあずけ、ムダにカッコつけながら毒づいた。
「いえ、副長。史実では、鉄は託されたものを副長のお姉さんご夫妻にちゃんと届けているんです。ということは、史実での副長は、説得できたということです。ならば、いまの副長もちゃんと説得ができるはずです。ってか、やってもらわないと」
「馬鹿な。史実といまのおれは、異なるんだよ」
「それこそ『馬鹿な』っていわせてください。土方歳三が分裂したり分身の術をつかったり、ましてやクローンがいたりってことはないのです。おなじ土方歳三ですよ。まぁ、遺伝子を継ぐ者はいますけどね。しかも、三人《‥》」
力いっぱいツッコんでしまった。
副長の眉間に、皺がよりまくっている。
指先で、眉間をギュッとしぼっているみたいだ。
「いいや、ぜったいにムリだ」
「ぜったいにムリですって?鉄は、もともとあなたの小姓でしょう?」
「ああああああ?だったら主計、おまえはその小姓の取りまとめ役じゃねぇか」
「はあああああ?おれはとっくの昔に、相棒の散歩係に配置がえされてしまっていますよ。まぁ、それもいまは不要の職務ですけどね。兎に角、取りまとめ役は利三郎です」
「ああああああ?利三郎は死んだ。死んだんだよ」
「はあああああ?それは表向きでしょう?本人は、ムカつくくらいピンピンしているじゃないですか」
そんな副長とおれのほっこりした会話を、相棒がお座りしてきいている。
その表情は、あきらかに呆れかえりまくっているって感じである。
どうやら、副長も相棒のその表情に気がついたようである。
ちいさく咳ばらいをすると、姿勢を正した。
「兎に角だ。鉄が頑固で馬鹿ってことはしっているだろうが?ったく、なにゆえおれが蝦夷から去れ、なんてことを命じなきゃならんのだ?」
さきほどとはうってかわり、いまの副長の声はキュンとくるほどせつなかった。
その声で、副長はこの期におよんで市村を手放したくないのだと気がついた。
「蝦夷にいたとしても、捕まって投獄されるだけです」
田村のことも伝えた。
それから、市村の若すぎるであろう死についても。
「鉄は、史実ではすぐに死ぬことはありません。ですが、そう遠くない将来に死ぬかもしれないのです。おれも、かれについてまわるわけにはいきません。おれ自身、それよりさきに死ぬからです。どうでしょうか?副長ご自身が告げることができないのでしたら、ぽちたまに頼んでみては。副長のいひ……、いえ、佩刀や写真を日野に届けてもらってから、丹波にいって原田先生や沖田先生や良三の様子をみてもらうというのは。良三も、史実ではいまの時期に労咳で死ぬことになっています。文でもって原田先生宛に鉄のことを託せば、原田先生や沖田先生が鉄の面倒をみてくれるはずです。そうすれば、鉄の未来もかわるかもしれません。鉄自身、さみしくないでしょうし」
副長の遺品、といいかけたがすんでのところでやめた。
リアルすぎるからである。
が、副長はだまっている。
市村にしろ田村にしろ、いっつも叱ってばかりいるわりには可愛いのである。
ってか、もうちょっとその愛情をおれにも注いでくれればいいのに……。
ってか、もうちょっとそのあつかいをおれにも適用してくれればいいのに……。
思わず、そんなことを願ってしまう大人げないおれである。
んんんん?
ちょっとまてよ。副長は、市村をずっと側に置いておきたいと思っている?
だとすれば?もしも、自分が死ぬと願っているのなら、市村を自分の側に置いておきたがるだろうか?
フツー、自分が死ぬ前提で付き合わせるわけはないだろう。
自分が死ぬつもりだったら、史実どおり遺品をもたせて蝦夷から逃すだろう。
それを、手放したくないということは……。
これってもしかして、ポジティブに理解していいのか?
たとえば、副長は死ぬつもりがない、あるいは死にたくないと思っていて、市村をずっと側にいさせたいと願っている、とか?
なんてこった。
これこそ、うれしい誤算である。




