接待上手と説得
井上がこれほど接待がうまいとは、心の底から驚いてしまった。
ちょっとした酒宴には、佐川をはじめとした五名の剣士たち、それと田中と手代木、ほかにみしった会津藩士が数名参加した。
井上は、その一人一人に笑顔で酌をしてまわっている。それはまさしく、現代の企業の中間管理職、といえよう。
これも才能の一つ、といえるはずである。
そして、局長もまた、笑顔で田中や手代木と話をしつつ、ときおり杯をなめている。
この二人のお陰で、おれたちだけで話をすることができる。
「ああ、おめぇの荒唐無稽のこの国の将来ってのには、心底感心したよ」
副長は、囁き声で嫌味をいう。
すると坂本は、またしても副長の肩を、でかい掌でばんばんと気安く叩く。
おれたちは、酒宴がおこなわれている部屋の下座にいる。
永倉と原田、島田の三人は、杯をどんどんあげてゆく。それを壁にし、おれたちは坂本を囲んでいる。
「よろこきくれて、あしは嬉しいぜよ」
坂本も、声量を落とす努力はしているのであろう。が、落としきれていない。
「うまいっ!こりゃうまい酒だ。きっと、会津の地酒に違いねぇ」
それにあわせ、永倉がことさら陽気に、声をはりあげ左右の二人にいう。
「ああ、うまいなー。これだったら、いただいてかえりたいところだ」
原田、そして、島田も、大声で酒を褒め称えている。
おれたちは、坂本に意識を集中する。
「馬鹿いってんじゃねぇ・・・。おい、真面目な話だ。よくききやがれ」
副長は、低い声でいう。
「おめぇ、この京からとっととでていきやがれ。もう十二分に演説ぶりやがったろう?ええっ?」
副長は、口を開きかけた坂本の着物のあわせめを掴む。そして、自慢の美しい顔にひきよせる。
「わかってんのか?おめぇ、あっちこっちから狙われてるぞ・・・」
副長と坂本の顔の距離が、ちかすぎる。それこそ、舌を伸ばせばたがいの鼻の頭をなめることができる。
もっとも、どちらもそんなことするわけないであろうが。
「坂本さん、伊東が接触してきているでしょう?気をつけてください」
そう囁いた斎藤の表情は、マジである。
伊東の護衛役として傍にいる。その動きはほぼ把握している。
「わかっちゅうよ、斎藤君。薩摩から頼まれちゅうんにかぁーらん」
坂本の口からでた薩摩という言葉で、薩摩の「人斬り半次郎」を思い浮かべてしまう。
「それだけではない。紀州藩士たちが仕返しのことを声高に話していた、ときいている」
山崎である。
おそらく、内偵で探りを入れた際、たまたまききおよんだのであろう。
このすこしまえ、坂本率いる「海援隊」は、伊予大洲藩から借り受けた「いろは丸」を運用中に紀州藩の軍艦と衝突し、積荷の大半を失った。それを、坂本が紀州藩にたいして損害賠償を求めたのである。
現代の坂本暗殺の黒幕のリストに、紀州藩も挙がっている。
坂本は最接近している副長の頬を、大きな掌で撫でる。
副長の眉間に、皺が刻まれる。
「しっちゅうがよ。やけど、まだ話をせんといかん人がおる。その人と話をするまじゃー、この京から去ることはこたわんがやか」
坂本は、そう告げてからにんまり笑う。
もはや、だれの話も耳に入らぬのか・・・。