兼定の機転
副長が誠に死んだかどうかはわからない。
創作の世界でときどきあるように、蝦夷にいるとかロシアにいるとか満州にいるとか、兎に角、しぶとく生き残って雲隠れし、ほとぼりのさめたころに名と姿をかえて大儲けするか大暴れするか、なにかしらでっかいことをやったかもしれない。
ゆえに、副長の影武者など必要ないのである。
いや、かりに影武者をやるとしても、マジで死ぬことはない。
史実にあるとおり、馬上で撃たれるふりをし、そのまま落馬すればいいだけのことだ。
つまり、副長のスタントマンである。
土方歳三役を演じる副長にかわって、壮大な映画のラストシーンを飾ればいいのである。
なにも死ぬ必要なんてない。必要なんてないんだ。
無意識のうちに、唇をかみしめていた。そして、向こうで準備運動をしながら副長と話をしている俊冬に視線を向けていた。
そのとき、右肩に掌をおかれた。
はっとしてそちらをみると、伊庭の掌がそこにある。
かれは懐に入るギリの位置に立ち、おれをじっとみつめている。
かれは、おれがついさきほどまで視線を送っていた人物を確認したようだ。
それから、悟ったらしい。
ソッコーで表情がかわった。
「え、なに、兼定?どこにいくの?」
俊春の脚許でお座りしている相棒がすっくと立ちあがった。それから、だれも立っていないところへととことことあるきはじめた。
それに気がついた田村が、慌てて追いかけてゆく。
相棒、グッジョブ。
いずれわかるだろうけど、いまはまだかれにしらせたくはない。田村がしれば、おのずと市村もしることになる。
市村は、もう間もなく副長から「兼定」を、って相棒ではなく刀の方だが、兎に角副長から「兼定」やカッコつけしいの洋装姿の写真を託され、蝦夷から逃れて日野へと向かうことになる。
しれば、俊冬のことが大好きなかれである。ぜったいに蝦夷から逃れはしないだろう。
もちろん、副長が死ぬということをしったとしても同様である。
もっとも、副長が死ぬかもってことについては、市村が蝦夷から逃げずに残るかもしれない。その推測は、あくまでも推測の域をでないのだが。
兎に角、相棒が田村をひきつけてくれた。
「うわー!兼定、それって気持ちいいの?」
相棒に「いいね」をつけてから、しばらくみまもってみた。すると、相棒はしなやかな体をスリスリしはじめたではないか。
ちょっ……。
犬が地面や人、物などに体をこすりつけてスリスリするアレ、である。
あれは、犬が自分の好きなにおいを自分にこすりつけて愉しんだり、自分以外のにおいをつけて自分のにおいを隠しているらしい。
が、いまはそれにあてはまらない。
ってか砂に?砂にスリスリって、わざとか?おれにたいする嫌がらせってやつなのか?
マジで勘弁してもらいたい。
俊春もかっこかわいい相貌の眉間に皺をよせ、相棒のスリスリをみている。
「まさか、たまが歳さんの身代わりに?」
体毛に細かい砂が入り込んでしまったとしよう。そうなったら、一度や二度洗ったりブラッシングするくらいで落とせるだろうか。いや、ぜったいにムリーである。
だが、いまはそんな問題などささいなことである。
伊庭のささやきに、意識を大問題のほうへともどした。
「いや。それ以前に、やはり歳さんも死ぬんだね」
伊庭は、さりげなく視線を副長に向けた。
島田も蟻通も俊春もおれも、その伊庭のだれに尋ねたでもない問いに、反応を示さなかった。
いや、いまのは問いではなく確認である。
そして、その伊庭の確認は、おれたちの沈黙でもって肯定することになったであろう。
伊庭は一つため息をついた。同時に、両肩をすくめる。
かれの一つ一つのさりげない動作って、なんて絵になるんだろう。
「ほら、やっぱり受けだ」
「シャラップ、ぽち」
またしてもおれを受けにしたがる俊春に、だまるようやさしく注意した。
「勇さんが亡くなって、歳さんはずいぶんと気落ちしているし、かわってしまった」
伊庭のその一言に、『ああ、やはりそうなのか』と納得してしまった。
副長のことをよくしる永倉や原田や斎藤らも感じていることだし、よくしらない松本などもそう感じていた。
伊庭は、副長とは永倉らよりもながい付き合いである。
その伊庭がそう感じているのだ。
まず間違いない。
「歳さんが蝦夷にいるのも、矜持とか意地とかではない気がする」
伊庭は、視線をおれに、それから俊春に向けた。
なにゆえ?なにゆえおれと視線を合わせたままにしてくれぬのか?
俊春にも向ける?俊春をみる?
いや。おれよ、ちょっとまて。
伊庭の視線など、いまはどうでもいいではないか?




