押し倒しは斬新?
桑名藩じたいは、とっくの昔に恭順にかたむいている。そのため、桑名少将はかえるべき場所を失い、兄である会津侯のもとへ身をよせなければならなかった。
もしも森以外で詰め腹をきらされるとすれば、桑名少将についてきているだれかということになる。
だが、森以外ではそれに似合う立場の者がいない。
だれも責を負う者がいないのだとすれば、桑名少将の責任の所在はどうなるのだろうか。
桑名少将自身は、明治四十一年に亡くなることになっている。
「相馬、なかなかよい勝負であったぞ」
「あ、ありがとうございます」
いきなり声をかけられ、びっくりしてしまった。
周囲のみんなが、目線でしらせてくる。
『なにもかんがえるな、思うな、想像も妄想もするな』、と。
「そのなかなかよい勝負を、副長と蟻通先生とにゃんこにもぜひともみてもらいたかった……」
「ぽちっ、シャラップ!」
「たまりにたまったかれは、なんとなんと試合中に……」
「ぽちっ、だまっていろ」
「八郎君を押し倒すという暴挙にでて……」
「ぽちっ、だまれって」
「あれには驚いたな。斬新な剣技であった……」
「だからぽちっ、だまれっていっているだろうっ!」
「す、すまぬ、相馬」
「ひ、ひえええっ!少将、こちらこそ申しわけありません」
最後の一言は、桑名少将だった。
って、桑名少将は、あれを斬新な剣技とみてくれたわけだ。
「なんだと?八郎がかようなことを?」
桑名少将に平謝り中に、俊春と伊庭本人が事の顛末をみていなかった者たちに、面白おかしく伝えてしまっていた。
「おいおい、八郎。これで、おれのことは申せぬぞ」
「わかっていますよ、歳さん。突然頭のなかにたまの声がきこえてきて、それをついいってしまったのです」
「たまーーーーっ!」
「おいおい、主計。誤解だよ。おれはどっかのあぶない神や宇宙人じゃない。どこかのだれかの頭のなかに直接語りかけたり指令をだしたりなんて力はないさ」
「どうだか。きみとぽちは、なんだってあるあるだからね」
そう。二人なら、おおくの人々の頭のなかに語りかけたりすることくらい簡単にやってしまいそうである。
みんなからさんざん揶揄われている間に、俊冬と俊春がどこかにいってもどってきた。
めずらしく、二人とも腰にそれぞれの愛刀を帯びている。
俊冬は「孫の関六」、俊春は「村正」である。
どうやら、木刀ではなく真剣で勝負することにしたらしい。
「では、わたしは向こうで見物をさせてもらおう」
桑名少将は、そういって森と去っていった。
全員、その背に頭を下げて見送る。
「二人の勝負なら、ずいぶんとすごいんだろうね」
「すごいというよりかは、なにもみえないっていったほうがいいかもしれません」
頭をあげると、伊庭がそう尋ねてきた。その伊庭に応じてから、思わず肩をすくめてしまった。
「八郎さんもおれも、父親が剣術をやっていたから自分たちも物心ついたころからそれが身近にありましたよね?でも、あの二人はちがいます。それなのに、あれだけの力があるんですからね」
「その分、相当努力しているだろう?掌の分厚さがそれを物語っている。わたしやきみのそれより、よほど分厚いから」
「ええ、そうですね」
かれらのもつ特殊な力は別にしても、毎日の地獄レベルの鍛錬がかれらをあそこまでにしているのである。
「ちゃんとした勝負は、これが最後かもしれない。日野のときみたいなのではなく、フツーに愉しもうじゃないか」
俊冬が俊春にいった瞬間、俊春がはっとなった。同時に、笑顔がなくなってしまった。
それは、おれも同様である。
『ちゃんとした勝負は、これが最後かもしれない』
この一言にひっかかってしまった。
そっと副長をうかがうと、先ほどブリュネと殴り合ったときにできた傷だらけの相貌に、おれたちと同様にはっとしたようなものが浮かんでいる。
「そうだね。日野のときのように、ぼくを試そうと躍起にならないでほしいよ」
俊春が、マジな表情でいい返した。
二人は、日野で別れることになる子どもらにせがまれ、勝負をした。
その際、俊冬は俊春の左目がみえているか否かを確かめるため、それこそヨユーもなにもない鬼気迫るといっていいほど俊春を攻めまくった。
俊春は自分が試されていることを察し、必死で防いでいた。
いつもだったら剣術を愉しむのが二人のスタンスなのに、あのときはこっちがひくほどすさまじい攻防であった。
「なんだよ?なにを怒っているんだ」
「怒っていないよ。どうしてぼくが怒っているように感じるの?」
「態度だよ。おまえの態度は、あきらかに怒っているじゃないか」
なんか、険悪になってきた。
そのとき、副長が市村と田村に目配せをした。
子どもらは、いろんな意味で敏い。すぐに副長の意図を察したようである。
「ぽちたま先生」
「ぽちたま先生」
呼びながら、市村は俊冬に、田村は俊春に、駆けよって抱きついた。
俊春も、子どもに抱きつかれるのは平気なようだ。




