激闘からの十八禁
今回は、試合開始直前までアホなことをいいあっていたせいか、緊張していない。
不可思議ではあるが。
息を鼻から深く吸い、口からゆっくり吐いてゆく。
そのとき、伊庭がニヤリと笑ったような気がした。
いや、たぶん笑ったんだろう。いまはもうキラキラなんてしていない。
いまのかれは、アニメにでてくる強敵やライバルみたいにでっかい存在に感じられる。
集中だ、集中。
自分に何度もいいきかせ、正眼にかまえている木刀をゆっくり天へ向かって振り上げた。
そう。示現流の蜻蛉のかまえ、っていうか蜻蛉の取り、である。
伊庭の表情が、さらにあかるくなった。
そうだった。愉しまないと。これが、かれとする最後の勝負になるかもしれない。
もちろんそれは、かれが史実どおりに死んでしまうからではない。
かれは、かならずや生き残る。だが、生き残ったとしても、どこかに身を隠さねばならない。
この戦がおわったら、おれ自身は降伏して投獄の上島流しにあう。
そうなれば、もう二度と会えないかもしれない。
二度と会えないかもしれないのである。
ダメだ。集中だ。それから、この最後の勝負を愉しむんだ。
って決意した瞬間、伊庭が消えた。いや、消えたようにみえた。
超神速で間合いを詰めてきたのである。
ダメだ。懐に入られたら、蜻蛉の取りからでは一撃必殺を放つことができない。
そこまでかんがえたときには、伊庭はすでに近間に入っていて、さらに踏み込んでいる。
おれのがら空きの喉を狙っているにちがいない。
はやっ!
踏み込む右の脚の爪先が砂につくまでに、強烈な突きが放たれた。
かわせるわけがない。ゆえに、両腕を下げて木刀の柄で受け止めるしかない。
が、伊庭はそれをよんでいる。伊庭の木刀の剣先が柄にあたる瞬間、剣先があがった。八相から、がらあきになっているおれの頭に向けて振りおろしてきた。
その一つ一つの技は、前回の勝負のときよりめっちゃはやいし、めっちゃ力強い。
かんがえる暇などまったくない。
体と直感に頼るしかなさそうだ。
焦りや迷いに関係なく、体が勝手に動いてくれた。
体を右にひらいて八相からの斬り下げをかろうじてかわしつつ、そのまま左脚が動いて伊庭までの距離をわずかだが開けていた。同時に、両腕が勝手に上がってふたたび蜻蛉の取りにし直した。
そのときには、思いっきり木刀を振りおろしていた。
この間二秒か三秒か、それこそ一瞬とか瞼を閉じて開けるくらいの時間である。
おれの渾身の一撃を、伊庭はわずかに左脚をひき、木刀を寝かして頭上にかかげ、腰を落として受け止めた。
『ガツンッ!』
木刀どうしが激突する鈍い音が、耳に飛び込んできた。
それでもかまわず、両腕にさらに力をいれた。木刀で伊庭をおさえこみたかったのである。
伊庭もおれも、体格にあまり差はない。伊庭の方がおれより二、三センチ背が高いかな、という程度である。
たぶん、だけど。
ゆえに、パワーの点においてはそれほどかわらないと判断したのである。
さらに腕に力をこめる。すると、伊庭がじょじょにおされ気味になってきた。
つまり、かれの腕が下がり、両膝が曲がってきた。
いまや、おれがかれにおおいかぶさっているような体勢になってしまっている。
すごい。おれってば伊庭を攻めまくっている。
そのとき、伊庭の相貌があがった。満面に笑みが浮かんでいる。
「わたしは、きみが受けだとばかり思っていたけど」
それこそ、審判に届かないほどの小声であった。
しかし、その一言はおれに地球規模の衝撃をあたえた。
そのため、刹那以下の間力が弱まってしまった。って認識するまでに、それまでおれの木刀からかかる圧をふんばり凌いでいた伊庭の力が抜けた。
え?
クエスチョンマークが頭上に浮かぶまでに、木刀ごと上半身がつんのめってしまった。
そのまま倒れそうになった。
そのおれの下で、伊庭が木刀を小太刀のごとくみじかく握っている。
ええい、ままよ。
反射的に、柄から片方の掌をはなしてその伊庭の木刀を握っていた。
そして、思いっきりぶっ倒れてしまった。
木刀を握られたまま攻撃することも逃げることもままならなかったであろう伊庭の上に……。
「いやらしいっ!」
「なんてことだ。八郎君を押し倒して……」
「かような大勢の人の前で、なんと恥ずべきことをするのだ。馬でももっと人っ気のないところでするぞ」
試合場を区切る手書きの線の向こう側で、蟻通と島田と安富がなにかいいだした。
「鉄、銀、ドン・ルック・アット・ザット!完璧十八禁だ」
野村あらためジョンのキャピキャピした叫び声が、耳に痛いくらいである。




