龍馬対「鬼の官兵衛」
北辰一刀流の鶺鴒の構え・・・。
構えは、たいていは正眼である。
柄頭を丹田から拳一個分あけたところに固定し、剣先は対峙する相手の眉間に合わせる。
北辰一刀流は、それを星眼という。その独特の構えは、剣先がゆらゆらとゆらめいている。
名の由来である鶺鴒の尾のように、ゆれるのである。
ボクシングも、拳をゆらゆらとさせることがある。おなじ意味なのであろう。
斬撃のタイミングを、はかっているわけである。
おれは正眼なので、どちらがどうとはいえない。隊士のなかに遣う者はいるが、稽古をするかぎりでは、とくにやりやすいやりにくいということはない。
初心者や癖のある者だと、定まらずに揺れていることがある。腕の立つ者でも、相手の先を誘ったり、あるいは先をとるのをよまれない為にゆらす場合がある。
ちなみに、本物の鶺鴒が尾を振るのは、尾をたたんで二足歩行するとき、バランスをとっているのだという。
だが、これはちがう。いや、バランスのところではない。剣先をゆらすことそのものの意義についてである。
ある意味、これほど衝撃的なことはない。
まるで催眠術のようである。
五十円玉や五円玉を糸で通してそれをゆっくり左右に振るという、そういうイメージである。
ゆっくりと右に左に振られるそれは、鶺鴒が尾を小刻みに振るのとはまったく異なる。
対峙する佐川は、正眼に構えている。その構えもまた、威圧感がある。さほどおおきくない佐川が、やたらとおおきくみえる。
おれだったら、この威圧感に圧倒されたかもしれない。いや、絶対にびびるだろう。
佐川の瞳が、剣先を追っている。二十メートルははなれているだろうが、なにゆえかそれがわかる。
坂本の剣先を、追わせられているのかもしれない。
それが催眠効果になっているのか、あるいは、それによって催眠効果が施されているのか・・・。
しかも、まったく隙がない。厳密には隙が、というよりかはなにもない。まったくの無、なにも感じられない。
そこに剣先だけが浮かんでいて、それがゆっくりと左右にゆれているような、そんな感覚である。
微動だにしない佐川。
いまここにある動きは、坂本のその剣先だけである。
佐川の額から右頬へと、汗が流れ落ちてゆく。そして、左頬にも。
こちらに背を向けている為、坂本の表情はわからない。
まじめな表情か、それともへらへらかにこにこか、なんらかの笑みを浮かべているのか?
そのとき、佐川が相貌を左右に軽く振った。同時に、気合の叫びを発する。間髪入れず、遠間の位置からおおきく踏み込んだ。踏み込みと、正眼から振りかぶった上段からの片掌斬りが同時である。
背の高い坂本には一足一刀の間合いも、背の高くない佐川にとってはまだそれの外になる。片腕を伸ばしきらないと、坂本まで届かない。
が、佐川の攻撃はそれだけではなかった。というよりかは、その攻撃は囮だ。
佐川の左脚が右脚をこえ、坂本に間合いを詰めていた。左掌一本の斬り下げは、いまや左側面、坂本の肩あたりで急停止し、そのまま直角に薙ぎ払われた。
並みの剣士であったら、このコンビネーション攻撃を防ぎきれず、右肩を強打され骨折するかもしれない。
やはり、佐川はすごい。会津を代表する剣士だけはある。
あの夜のゲロの男と同一人物とはとても思えない・・・。
だが、相手も並の剣士ではない。
坂本はよんでいた。よんでいないと、この攻撃をかわしながら反撃などできやしない、とおれは思う。
坂本は、星眼から右掌一本に木刀をもち直し、それを直角に立てた。強烈な横からの撫で斬りを、それで受け止める。
「がつんっ!」
木刀同士がぶつかる音が響く。
そこからが曖昧だ。おれごときの瞳では、ついてゆけない。
坂本は、佐川の撫で斬りを受け止め、そのまま右の手首をかえしたのであろうか?
佐川は、それが渾身の一撃だったに違いない。受け止められるとも、ましてや払われることなど、想定していなかったのだろう。佐川は、木刀ごとまえのめりになってしまう。
坂本は、一瞬にして左斜めうしろへと飛んだ。懐にいる佐川と間をあける為である。
飛びながら、左の掌が木刀の柄に添えられる。着地するまでに、それは繰りだされていた。
「かつんっ!」
さきほどより軽く、小気味よい音だ。
佐川の木刀がそのもち主の掌から離れ、宙を舞う。
木刀を舞わせた剣先は、佐川の喉元紙一重の位置でぴたりと止められている。
起こったことをスローモーションでみているかのように述べたが、これらは瞬きする間に起こったことである。
かさねていうが、おれにはすべてみえなかった。ゆえに、想像の部分もある。
こんなことであろう、という推測である。
「まいった・・・」
つづいて「からん」、という音。
佐川の敗北宣言と、かれの木刀が地に落ちたのは、ほぼ同時である。
大将戦も勝った。
会津藩との非公式の試合は、新撰組の完勝に終わった。