蝦夷へ……
早朝に火蓋が切られ、戦闘後に逃げだして安全な海域に入り、蝦夷に向けて航行してどれだけ経っただろう。
もう空も海上も暗くなっている。
回天自身は、さほど船脚が速いわけではない。それこそ、甲鉄につっこんでいったときの船脚は、回天なりにムチャをしてくれたのにちがいない。
いまは、ゆるゆると海を走っている。いや、走るというよりかは進んでいる。
明日の夕方には松前に戻ることができるだろう、ということだ。
夕食は、特別に調理が許された。
調理の際の炊煙で、こちらの存在が敵に察知されるかもしれない。ゆえに、本来ならタブーなのである。
が、無事に松前に戻ることができることをしっている。
回天が蝦夷に戻る途中に敵艦に遭遇して交戦した、という記録を現代でみた覚えはない。
もちろん、それを鵜呑みにすることはできない。
記録に残すほどのものではない、あるいは記録に残ってはいない程度の交戦はあったかもしれない。
が、すくなくともそれでだれかが死んだとか、ましてや回天が沈んだという記録はない。
ゆえに大丈夫だろうっていう、いーかげんな結論である。
それは兎も角、ご褒美というのも必要だ。
荒井がそう判断し、許してくれたというわけである。
俊冬と俊春、それから新撰組の幹部が中心になってつくった。
とはいえ、回天にはたいした食材は積んでいない。
もともと、蝦夷から宮古湾へはそれほど距離があるわけではない。
ぶっちゃけ、玄米と味噌と塩くらいしかない。
が、ここには世界を股にかける海人がいる。
世界最強の海人は、釣り竿をつくり、網をつくり、漁をはじめた。
もちろん、おれたちも手伝った。
その漁で、艦の乗員以上の数の魚をゲットすることができた。
ニシンにカツオにタイにマグロ。
この時代は海が荒らされていないからか、いろんな種類の魚を短時間のうちに獲ることができた。
それをすぐさま刺身にしてくれた。もちろん、俊冬と俊春がである。
二人はフランス軍の軍人たち用に、ニコールらがこっそり持ち込んでいた葡萄酒をつかってソテーをするという、職人技をみせてくれた。
それに玄米とあら汁を加え、だれもが満足できるだけの献立と量を堪能した。
相棒も、今回のこの海戦で活躍してくれた。
玄米飯にあら汁の汁、それから魚の身をていねいにほぐしたものをかけたぶっかけ飯を堪能した。
さすがに沢庵はなかったらしいけど。
それでも、相棒はうまいうまいといって喰ったらしい。
やってくれたのは俊春だし、うまいうまいといっていたというのも俊春が教えてくれた。
深夜、船倉から甲板にでてみた。
島田や伊庭らは高鼾で眠っている。
つかれてはいるが、なにゆえか睡魔がこない。だから、潮風にでもあたろうと思った。
船倉内にあるいくつかの蝋燭も消されている。それでも通路に設置しているカンテラの灯りが、船倉の開け放たれた入り口から射し込んでいる。
副長の姿がみえないことに気がついた。
たしか、船倉に降りてきたときには一緒だった。
寝る準備をしている間に、いなくなってしまったらしい。
甲板に上がると、眠れぬ者が何名かいる。それぞれの場所で柵に頬づえをつき、真っ暗な海をみている。
副長は、そのなかにいた。
俊冬と俊春がそのすぐ側で胡坐をかき、銃やクロスボウの手入れをしている。
当然のことながら、相棒もいる。相棒は、俊春の隣で寝そべりリラックスしている。
「どうした、眠れぬのか?」
そちらに向かいかけると、副長がこちらにイケメンを向けてきいてきた。
俊冬と俊春はこちらにちらりと視線を向けただけで、また作業にもどった。
「ええ。なにゆえか気持ちが昂って、っていっておくけど、そっちの昂ぶりじゃないから」
そういいかけると、俊冬と俊春がまた視線を向けてきた。なので、ソッコーでかれらが想像しているであろうことを否定しておいた。
「そうだな。いろんな意味で昂ったな」
副長は海に背を向けるとそのまま柵に背中をあずけた。
その隣にいくと、おなじように背中から柵にもたれた。
副長の拳が飛んでこないだけの距離を、さりげなく開けておくことを忘れない。
「よかったですよね。よくぞ荒井先生や甲賀先生が、おれたちのことを信じてくれたものです」
いいながら、夜空を見上げた。
満天とはほどとおいが、それでも星がいくつか瞬いている。
「きみは、やはりポジティブだよね」
俊冬が銃を磨きながらいった。
「ほんとほんと。でも、そういうふうに他人のことをかんがえたりみることができるのって、きみの長所かもしれないよね」
俊春もまた、銃を磨きながらいう。
「なんだよ。どういう意味なんだ?」
思わずムッとしてしまった。
「つまり、ほめているのさ」
俊冬は、おれと視線を合わせてからやわらかい笑みを浮かべた。
「ほめている?おれにはそういうふうに感じられなかったぞ」
「ほら、にゃんこ。かれはきみとぼく以外の人間にたいしては好意的にみたり感じたりするけど、ぼくらは人間じゃないから悪意をもってしかみたり感じたりできないってさ」
俊春がディスってきた。




