それはぼく自身のことです
「え、ええ。ぼくはどうやらアレができないらしくって。『たたない男もいるから気にする必要はない。おまえのかわりに、おれがたちまくってやるから安心しろ』といわれましたから」
まるで、「親知らずが歯茎の斜めとか横からはえてるやん」的にカミングアウトされてしまった。
俊春のあまりにもあけっぴろげすぎる告白に、だれもが反応できないでいる。
いろんな意味で、どう対処すればいいのかわからないのである。
これがまだ思春期あたりの男児なら、大人として対処とかアドバイスのしようもある。
が、ちっちゃいながらも俊春は立派な成人男性である。
どうアドバイスを送ればいいんだろうか?
ってか、かれに都合のいい謎解釈、謎理論をおしつけたのはいったい……。
「たまーーーーーっ!」
副長が大声で呼んだ。
が、見渡せども俊冬の姿がみえない。
さっきまでいたのに?
全員がきょろきょろとみまわしている。
「にゃんこなら、利三郎を探してくると合図を送ってきました」
俊春がかっこかわいい相貌をわずかに右にたおし、副長に報告した。
「あの野郎」
さすがの副長も、これには苦笑するしかないようだ。
「まさか、かような気の毒な境遇であったとは」
安富は、ずかずかと俊春のパーソナルスペースをおかしつついった。
「戦や剣術の際の馬力はあるのに、そっちのほうの馬力がないとはな。ぽち、馬のやるところをみたことがあるか……」
「やめないか、才助。いいんだよ。ぽちは犬だ。馬とはちがう」
「ってか、ぽちは犬じゃないですよ」
あいかわらずの「馬フェチ」っぷりの安富にツッコむ副長に、思わずツッコんでしまった。
「あの……」
そのとき、荒井と甲賀がおずおずとちかづいてきた。
俊春のヒーローっぷりからの『たたない』っていうのが、じつは俊春自身だったというカミングアウトで、かれらのことをすっかり忘れていた。
「おおっと、すまぬ」
副長も失念していたらしい。すぐに体ごと二人の方に向き直り、テヘペロった。
「ありがとうございます。お蔭で命拾いいたしました」
甲賀は副長に頭をさげるとともに、俊春にも感謝の視線を向けた。
「甲賀君、此度は回避できた。が、まだ油断はならぬ。できれば、しばし戦線を離脱したほうがいいかもしれぬ」
副長は、そういいながらさっと周囲に視線をはしらせた。
新撰組と伊庭以外では、甲賀の部下たちが甲板の向こう側を忙しくいったりきたりしている。
副長はそれを確認し、荒井と甲賀との距離を詰めた。
「ここだけの話だ。二度とは申さぬ。きみたちの胸にしまっておいてほしい」
かぎりなくちいさいどころか、いまの声には悲壮感がただよいまくっていた。
荒井と甲賀は、同時に表情をひきしめちいさくうなずいた。
「この戦は負ける。降伏することになる。ゆえに、甲賀君。せっかく助かった生命だ。ここにとどまることで、ちがうとき、ちがうところで喪うようなことになっては無念であろう?できれば、蝦夷を去ることをすすめたい。それから、荒井君。きみは、この戦で死ぬことはない。だが、負けた後のことをかんがえ、あまり活躍せずに戦をやりすごすよう忠告させてくれ」
副長のアドバイスは、陸軍奉行並という立場であってもなくってもアウトである。
戦に積極的に参加するなとすすめるだけでなく、逃げろとまで使嗾しているのだ。しかもその相手は、箱館政権の中心にいる人たちである。
下手をすれば、反逆者としてすぐにでも捕まえられて艦内のどこかに放り込まれ、帰港後すぐにでも処罰されてしかるべきである。
宮古湾で死ぬはずだった甲賀の死は、とりあえずは回避できた。が、このときだけではない。
これから後も戦場に立ちつづければ、なにが起こるかわからない。
荒井は、明治四十二年かそこらに糖尿病に関係することで死ぬことになっている。
だからといって、この戦いでのかれの生命の保証がされているわけではない。死ぬはずだった甲賀や野村が助かっている。
死ぬはずのないかれが確実に生き残る、とはいいきれない。
それでも、慎重なかれのことである。とんでもない事態にならないかぎり、この戦をのりきってくれるだろう。
が、甲賀はまだ油断ならない。史実がかれを抹殺したがるのなら、今後の保証はまったくできない。
俊冬と俊春が、つねにかれについて護れるというわけではないのだから。
そうこうしているうちに、荒井と甲賀が相貌を見合わせた。
『甲賀さん、あんたは死ぬよ』
と宣告されたときとおなじように。
「信じていただけないでしょうけど、ぽちたまと相棒の兼定とおれは、ずっとさきの時代にいたんです」
かれらは、「なにゆえ戦死のことや勝敗の結果をしっているのか?」という、もっともしりたいであろうことを一度も尋ねてこなかった。
だから、こちらから告げることにした。
信じる信じないは、かれらしだいである。
「兼定は……」
いいかけると、相棒がかれらの脚許にいってお座りをした。
尻尾が、ぱたぱたと甲板を掃いている。




