野村はマジで「たたぬ」のか?
「主計、おまえのせいだろうがっ!」
「だから、ぽちが死にますって」
これ以上頭をなでられつづけたら、毛根にダメージをあたえられて俊春の頭が禿げてしまう。いや、それ以前にあれだけ頭部をゆさゆさゆさぶられているんだ。脳がゆさぶられまくってゆさぶり死してしまうかもしれない。
「おおっと、すまぬ。悪いのは主計だ。恨むなら主計を恨んでくれ」
副長の掌が、やっとのことで俊春の頭の上からなくなった。
それと同時に、俊春が上目遣いでおれに感謝の流し目を送ってきた。
「いまのは流し目ではないよ。怨嗟の視線だ。きみ、このあと駆逐されるだろうから、項に気をつけた方がいいよ」
俊冬のありがたいアドバイスである。
ありがたすぎて、怖気をふるってしまう。
「あれ、利三郎は?」
そのとき、安富がきょろきょろしながらいった。
そういえば、さっきまでフランス軍の士官や兵卒にいじられていたのに、姿がみえない。
すくなくとも、視界にはいるところにはいない。
「はっは!あれだけ『たたぬ』呼ばわりされたのだ。あらかたすねて船倉にでもこもっておるのではないのか?」
島田は、めっちゃあかるく推察した。
「アレは、どちらが思いついたんだ?」
副長がまずは俊冬に、それから俊春に視線を向けて尋ねた。
「アレ?」
「アレ?」
俊冬と俊春は、たがいの相貌を見合わせた。
「利三郎の生命を助けるためとはいえ、あれは名誉棄損レベルの問題じゃないのか?訴えられたら、ぜったいに負ける事案だ」
「なぜ?なにが?ぼくの主張のどこがどう、名誉棄損レベルだとというの?」
俊春はかっこかわいい相貌をして、めっちゃしらをきってきた。
「きまっているだろう?『たたない』って、利三郎にとっては屈辱以外のなにものでもないだろう?」
「それともなにか?誠に『たたぬ』のか?」
おれにつづいて、中島がささやくように尋ねた。
その相手は、だれかにというわけではない。このなかのだれかが、そんな情報をもっているかどうかの確認っぽい。
「いや、しらぬ。だが、京でも江戸でも蝦夷でも率先して廓にいっていないか?」
「そうだな。やることはやらぬのに、そっちのやることはきっちりやっている気がする」
尾形と尾関の会話に、心から驚いた。
あの野郎、いつの間に。
ちゃんと女性とやりまくっているんじゃないか。
「わかるものか。女子といざやるってことになったら、実際『たたぬ』のかもしれぬしな。そういう女子は玄人だ。わざわざ他の客に、あの人は『たった』の『たたなかった』のとは告げぬ」
さすがは副長。そういう色事の裏事情をよくご存じだ。
「土方さんの申すとおり。『たたず』に惨めな思いをしているくせに、わたしたちにはやりまくったように自慢をする、なんてことあるあるであろう?」
蟻通である。
なんか、だんだん下種な話題になってはいないか?
崇高で名誉ある集団であるはずの新撰組が、はしたなくなってしまう。
「兎に角、利三郎にしてやったんだ。それでよしとしようじゃないか」
副長がシメた。しかも完全に他人事だし、自分がしてやったみたいである。
もしもあれが、「土方歳三はたたぬーーーーー!たたぬのだーーーーーーっ」ていう主張であったとしたら、俊春はぜったいに斬り殺されていたはずだ。
「ちょっ、ちょっとまってください」
俊春があわてていった。
「ぼくは、一度たりとも利三郎が『たたぬ』とはいっていません」
おれもふくめ、全員が、って俊冬はのぞいてであるが、狐につままれたような表情になっている。
どういう意味だ?
「あれはぼく自身のことであって、利三郎のことではありません。ぼくは、利三郎が実際に『たつ』のか『たたない』のかはしらないので。かれと寝たことはありませんし、そんな会話もかわしたことはありませんので」
俊春は、そういいきってから華奢な肩をすくめた。
「あれでは誤解を招くだろう?いかにも利三郎が『たたぬ』って感じだった。っていうか、おまえは利三郎役だったんだ。どこからどうみてもきいても野村利三郎の主張だろう」
「にゃんこ、それはきみがぼくにたいして悪意があるからそう感じるんだよ」
「いや、ぜったいにだれでも感じるさ。ここにいる全員が、それどころか甲鉄、春日ともう一隻の敵艦の将兵全員がそう感じてっていうか、そう信じているはずだ」
「そうかな……。困ったな。そんなつもりじゃなかったのに」
俊春は俊冬に指摘されて口ではそういったが、ちっとも困っている様子ではない。
「いや、ちょっとまて。この際、利三郎のたつたたぬはもうどうでもいい。アレは、おまえ自身のことだと申すのか?誠なのか」
蟻通が、俊春の懐を脅かす一歩手前まで詰め寄った。
そうだよな。野村のことよりそっちのほうが問題だよな。
そういえば、江戸で吉原にいったことがある。
結局、呑むだけでだれもお泊りはしなかったのであるが、そのかえり道に斎藤が俊春の性についてやけにツッコんだことがあった。
なんでも、俊冬が俊春に女性は怖いから相手にするなといっていたらしい。
ゆえに、女性との経験がないんだとか。
そのことについて、当の俊冬に問いただしたのである。
そのとき、かれは『俊春はたたぬ』というようなことをいっていたっけ。




