わんこの帰還
それにしても、派手にかましてくれたものである。
野村利三郎は、たしかに死んだ。敵の艦上に取り残されて。
が、「青年の主張」のくだりが未来に語り継がれでもしたらどうだろうか。
いや、あれだけの大人数のまえで主張したのである。
『おじいちゃんは、宮古湾の海戦では甲鉄という軍艦に乗ったんだ。そのとき、敵軍が艦をぶつけてきて甲鉄に乗りこんできた。結局、おじいちゃんたちはその敵を追い払ったんだが、一人取り残された敵の兵卒がいてな。そいつはなんと、「たたない」って大音声で叫びだしたんだ。あれは、何度か戦を体験したおじいちゃんの戦歴のなかでも、かなり衝撃的な出来事だった』
『それで、おじいちゃん。その「たたない」敵の人ってどうなったの?』
『悲嘆のあまり、甲鉄から身を投げてしもうた』
『わああっ。その敵の人、よほどたたないってことが情けなかったんだね』
てな具合に、語り継ぐ人続出じゃないだろうか。
っていうことは、ウィキの情報もかきかえられるかもしれない。
『野村利三郎は、「たたない」ことにより宮古湾で戦死』
超絶草すぎる。
散々笑ってしまっているが、その仕掛け人がまだ帰還していない。
笑っている場合ではない。
かれの無事を確認するまで、この作戦がある意味成功だとはいえないのである。
おれがそう気がついたのとおなじように、ほかのみんなも笑うのをやめている。
同時に柵にちかよってそこから身をのりだし、すっかり明るくなっている海上をみおろした。
とはいえ、曇天はつづいている。
雨が降っていないだけ、まだマシといえるだろうけど。
そのとき、相棒がおれたちのいる柵とは反対側の柵のほうへとことこあるきはじめた。
俊冬がすでにそっち側に立っている。
おれたちもそちら側へむかいはじめたとき、柵に掌があらわれて手すりを握った。と認識したときには、俊春が柵を乗り越えて甲板に着地した。
かれは腰を曲げ、両掌を膝頭にあてて荒い息をついている。
さすがのかれも、暴れた上に「青年の主張」をしまくり海にダイブして数キロ泳ぐって感じで活躍をしまくったのである。
疲労感が濃いのがよくわかる。
その褌姿のかれを、俊冬が手拭いで拭いてやっている。
相棒は、すぐ側にお座りして静かに見守っている。
俊冬は、体を拭いてやりながらなにやら小声で話しかけている。
その俊冬の表情は、いつもとちがってやさしい。
いままで一度もみたことのないそのやさしい表情に、なにゆえかドキッとしてしまった。
これもまた、ほかのみんなも同様に感じているらしい。
いつにない二人の世界を邪魔するのがはばかられ、その場から眺めることしかできない。
なんだかんだといいつつ、俊冬は俊春のことが心配だし可愛いんだな、とこのときは軽くかんがえてしまった。
このときには……。
そんな「二人の世界」を見守っていると、どこかから手をたたく音がきこえてきた。一つか二つからはじまり、じょじょに増えてゆく。
はっとしてそちらをみてみた。
いつのまにか、ニコールをはじめとしたフランス軍の士官や兵卒たちが居並んでいて、拍手を送っている。
いや、かれらだけではない。荒井や甲賀をはじめとした全乗員が俊冬と俊春を囲み、惜しみなく拍手を送っている。
もちろん、おれたちも拍手を送る。
その拍手喝采は、海風にのって宮古湾で地団駄を踏んでいる敵軍にまで届くかもしれない。
それほどの盛大な拍手喝采である。
副長をそっとうかがってみた。
注目の対象が自分ではないことに、口惜しそな表情になっている。ってなことはなかった。
副長もまた、すごくやさしい表情で二人をみている。その表情は、まるで活躍をした息子らをそっと褒め称えるような親のもののようにもうかがえる。
惜しみない拍手を送られている二人は、誇るでもない。かえって戸惑っているようだ。
拍手がじょじょにおさまってきたところで、ニコールがフランス語でなにかをいいつつかれらにちかづいた。
すると、俊冬がにこやかにフランス語で言葉を返した。それから、俊春の頭をがしがしと撫でた。
どちらもにこやかに、それでいてじつに友好的な雰囲気でフランス語で会話をかわしている。
ニコールは、かれらのまえまでくると掌を差しだした。
それにたいしてまずは俊春が、それから俊冬が、それぞれがっしりニコールの掌を握って固い握手をかわした。
そして、ニコールは俊春の肩を音がするほど叩いてから踵をかえし、仲間たちのもとへともどっていった。
どうやら、例の宴でのいざこざによる険悪な関係が解消されたっぽい。
甲賀は、自分の部下たちに持ち場にもどるように命じた。
そこでやっと、おれたちは俊冬と俊春にちかづくことができた。
「ぽち、この野郎っ!」
蟻通は、開口一番俊春のことを『この野郎』呼ばわりをした。




