野村利三郎の最期
「ゆえに、海に飛び込む」
偽野村の姿が、じょじょにちいさくなってゆく。
そう叫んだ偽野村は、片腕一本でもちあげている中島を甲板上におろしてやった。
それから、かれはストリップをはじめた。
つまり、軍服のシャツとズボンを脱ぎはじめたのである。
「ぽち、最高だ」
副長がつぶやいた。
ええ、おれも同感です。
かれは褌一丁になった。それから、かれが甲板に正座するのがかろうじてみえた。
双眸をこらしてみると、なにやらやっているようだ。
「軍服は、ちゃんときれいにたたんでおいた。これが、英雄野村利三郎の最期に着用した軍服だ。中島家の家宝にするがいい」
そうきこえてきた。
どうやら、かれは着用していた軍服を中島に贈呈したらしい。
中島が、その軍服をわけがわからぬまま素直に受け取っているのがなんとかみえた。
いや、中島さん。あんたも人質に取られただけでなく、「青年の主張」を間近できかされたり、いまから死ぬ敵から軍服を家宝にしろといわれたりして、つくづく不運だよな。
「みよ、ちゃんとたつ兵どもっ!」
偽野村は、叫ぶなり甲鉄の船首の柵上に立った。
中島などは、たたないわりには傷だらけの男っぽい体を間近にみて、どう思っているだろう。
「たたねども英雄にかわりなし。その死にざまをとくとみ、おったてよーーーーーっ!」
偽野村は、最期まで男の意地を貫きとおした。
ってか、こだわりまくった。
かれは、甲鉄にいる全将兵にそう告げたと同時に、甲鉄の船首からダイブしたのだ。
回天から、甲鉄にいる将兵たちが船首に駆けより海をのぞきこんでいるのがみえる。
ふと春日のほうへと視線をうつすと、黒田が船首にたち、『たち』というのは偽野村のこだわりの「たつ」ほうではなく二本の脚で立つっていう意味であるが、兎に角こちらを見送っているのがかろうじてみてとれた。
偽野村は、春日には細工をしていない。しかし、甲鉄には細工をしている。したがって、回天を追いかけてくることができるのは、春日ともう一隻の艦だけである。
が、黒田は動かぬようだ。
おれたちをわざと逃してくれたのか、それとも甲鉄の艦長中島が長州藩士であることから、フォローしてやるつもりはないのか、あるいはほかに理由があるのかはわからない。
いずれにせよ、春日が追ってこなかったお蔭で、おれたちは無事に宮古湾から逃げることができたわけである。
宮古湾からはなれて沖にで、敵の追撃がないと確信した。
そのときまで、艦上はずっと笑いに包まれていた。
そして、敵が追ってこないことが明確になった途端、安心感も手伝ってさらに笑いがおおきくなった。
ぶっちゃけ、笑いの渦っていうか大爆発したわけである。
ほとんどの者が、甲板で笑い転げているか、へたり込んで腹を抱えて笑っている。
きのこ鍋会をひらいて、ワライタケをあやまって摂取した集団みたいである。
それ以前に、ゆるすぎである。
かくいうおれも、笑いまくっている。
甲鉄奪還に成功したみたいな陽気さが、艦上にあふれまくっている。
史実では、艦長の甲賀や野村、それ以外でも死者がでるはずだった。
史実どおりなら、宮古湾からなんとか離脱できたものの、艦上の雰囲気は闇よりも暗く重苦しかっただろう。
その史実ルートでの副長は、どういう気持ちになっただろう。
甲鉄を奪うことに失敗したばかりか、野村をうしないおれが負傷し、甲賀も戦死。甚大な被害をこうむり、その心は相当へこんだにちがいない。
へこむどころのさわぎではなかったかもしれない。
それこそ、自分自身を責めまくり、絶望にうちひしがれたかも、である。
「ははははははははっ!みたか、きいたか?超絶笑っちまう。これ以上にない最高のだしものだった」
が、実際は、まったく、まーったく異なる。
雲泥の差?天と地ほどの差?
そんな表現はなまやさしい。
ふざけんなってぶん殴ってやりたいほど、副長は笑いこけ、ウケまくっている。
笑いつつ、艦上をみまわしてみた。
安全圏にいたったため、甲賀も堂々と姿をさらしている。
かれは俊春の姿こそみてはいないものの、野村の声真似での「青年の主張」はしっかりきいたらしい。
荒井と肩を並べて甲板上に座り込み、笑い転げている。
ニコールらフランス軍の士官や兵卒たちもまた、甲板上に座り込んでいる。そして、「青年の主張」の対象である野村を酒の肴に、お持ち込み厳禁のはずの葡萄酒を瓶からあおっている。
ニコールは太い腕を野村の頸にまわし、周囲の兵卒たちに大笑いしながらなにかいっている。
トランスレイトなど必要はない。
かれらは野村の気の毒すぎる性の悩みについて、当人をめっちゃからかっているはずだ。
それにしても、とんだオチである。
あれだけカッコいい見せ場をこれでもかこれもかというほどつくっておいて、いきなりの「青年の主張」ときたもんだ。
で、海に身を投げる。
あれだとまるで、一人敵の艦上に残っておれたちを逃すために犠牲になって死んだというよりかは、性の悩みで自ら海に飛び込んだみたいだ。




