伊庭の熱弁
「その……。正直なところ、いきなり死ぬといわれても実感がわかないと申しますか、現実味がないと申しますか……」
大人な甲賀は、「そんな眉唾物の話、信じられるかいっ!」ということを、遠回しに表現した。
「さよう。わたしも、まさか源吾がもうすぐ死ぬなどとは……。どう理解していいか……」
つづいて、汁粉命で大人な荒井もまた、「おいおい、とぼけたこというんじゃない」ということを遠回しに告げた。
「あの、いいですか?」
これまでひっそりとたたずんでいた控えめな性格の伊庭が、おずおずときりだした。
「じつは、わたしも死ぬのです。ああ、いますぐではありません。もうすこしあとです。そのことを、先日きかされました。わたしと歳さん、いえ、土方陸軍奉行並は、旧知の仲です。ですから、わたしは土方さんのことをよくしっています。それこそ、ここにいるだれよりも。無論、驚きました。「死ぬ」なんていわれれば、だれだって驚きます。ですが、土方さんがわたしをかついでいるわけでも胡散臭い占いや予言の類を申しているのでもないことをわかっています。ゆえに、すぐに信じました。土方さん自身が一番、いい意味でも悪い意味でもこういう予言めいたことが大嫌いな性質です。自身の力でねじ伏せ、こねくりまわし、無理矢理にでもかえてしまう。そんな人だからです」
伊庭は、そこまでいっきに告げてから言葉をとめた。
ってかいまの内容のほとんどが、副長の悪口じゃね?
副長は、眉間に皺をよせまくっている。
「甲賀先生、誠の武士であるあなたに戦いから逃げ隠れしろ、とは申しません。ですが、あなたのおおくの部下のことを考慮なさっていただきたいのです。あなたの指揮なくば、この負け戦を無事に逃げおおせることはできないのですから」
ナイス、伊庭。さすがは伊庭。よくぞいってくれた。
思わず、俊冬と俊春とおれとで拍手を送ってしまった。
伊庭の熱弁があたえる影響は?
はたして、甲賀の心に響いただろうか。
いやいや。響かないとおかしいだろう?響かなかったのなら、響くように俊冬か俊春にでも再現してもらわねばならない。
それこそ、甲賀の心に響き渡りまくるまで。
「源吾、伊庭君の申すとおりだ。わたしは、土方さんとははじめて組むが、かれがいいかげんなことを申すような人ではないということくらいは理解している。たしかに、この戦は負ける」
荒井は、甲賀の肩に掌をそえてささやいた。
「はははっ!海軍奉行がかようなことを申しては、士気にかかわるな」
それから、かれは苦笑した。
「ええ、わたしも同感です」
ややあって、甲賀はまず荒井に、それから副長にうなずいてみせた。
副長がホッとしたのを感じた。
「じつは、この海戦で死ぬことになっているのは甲賀君だけではない。もともとこの回天に彰義隊と神木隊が乗り込むはずだったのを覚えているか?」
「そういえば、そうでしたね。たしか、あなたから入れ替えてほしいと」
「そうだ、荒井君。回天が甲鉄にぶつかり、甲鉄に乗り込んだ数名がもどれなくなってしまう。彰義隊や神木隊のだれが死ぬかまではわからない。ゆえに、新撰組の幹部といれかえたわけだ。はっきりしている名は、新撰組の馬鹿だけだ」
「馬鹿?」
「馬鹿?」
なにゆえか、荒井と甲賀は『馬鹿』にだけ反応した。
「ああ、野村利三郎っていう馬鹿だ」
「野村君?たしか、乗っていませんでしたか?」
「そういえば、ニコール殿らに『わたしが武士だということを世界にしらしめる』、というようなことを申しているのをみました。仏蘭西軍士官たちは、ずいぶんと困っていたようですが」
荒井と甲賀が驚いたようにいう。
「あの野郎っ!ぽち、予定変更だ。あいつに斬りこませる。あいつ自身の言の葉どおりにさせてやらねば。上役として申し訳が立たぬであろう」
副長がまたしても歯ぎしりした。
このままでは、副長の歯がぼろぼろになってしまう。
そうなれば、この時代にちゃんとした歯科技術がない以上、物が噛めなくなる。それ以前に、喰えなくなる。
栄養失調や偏食で体調を壊してしまう。結果的に、それが重篤な病につながるかもしれない。
死んでしまうかも。
副長が気の毒すぎる。
「この主計も死ぬのです」
そのとき、副長に冷ややかな口調で宣言された。
「いえ、おれは死にません。いいましたよね?おれは、名誉の負傷です」
「ふんっ!いまのところはそうなっているだけだ。死ぬはずの甲賀君が助かる。死なぬはずのおまえが死ぬ。なんてことはあるあるであろう?」
「なんてこと……。いまの、きかれましたか?おれに死ねって命じるなんて。この人はこんな上役なんです。信じられない」
ちょうどいいチャンスである。
海軍奉行や艦長クラスに是非ともきいてほしい。




