いよいよ宮古湾へ出撃
気がつけば、室内に陽光が射しこんでいる。
今日は、いよいよ出撃である。
この室内の明るさだと、空は晴れ間がでているのかもしれない。
まさしく、嵐の前の静けさってやつだ。
長椅子に横になっている。ちゃんと軍靴も脱いでいる。体の上には、配給された毛布がかけられている。
天井からローテーブルの向こう側にある長椅子へと視線をうつすと、そこには副長が横になっている。おれ同様毛布がかけられている。
こんな細やかな配慮をしてくれたのがだれかは、かんがえるまでもない。
その二人の姿はみあたらない。それから、相棒の姿も。
副長とおれが寝落ちしたあと、かれらは鍛錬しにいったのだ。
それもまた、かんがえるまでもない。
また天井をみた。
シミっぽいものはまったくない。きれいなものである。
頭のうしろで掌を組み、それを枕がわりにした。
瞼を閉じてみた。
親父のことを、もうすこし思いだしてみようと試みたかったからだ。
二度寝というのは、人間として最高の贅沢といえる。
副長に蹴り起こされるまで、夢さえみずに二度寝してしまっていた。
それはもう、まるでお祭り騒ぎである。
港に、おおくの将兵が集まってきている。
みんな、宮古湾へ向かうおれたちを激励しにきてくれているというわけだ。
「利三郎さん、気をつけてね」
「利三郎さん、死なないで」
「利三郎、死ぬなよ」
「任務などどうでもいい。さっさと逃げだせよ」
「そうだそうだ。「命あってのものだね」、だからな」
そのおおくの将兵たちのなかには、非番の新撰組の隊士たちもふくまれている。
松前から駆けつけてくれたのだ。
いまは、子どもらとともに野村を取り囲んでいる。
みんなに取り囲まれてちやほやされているのは、この海戦で華々しく海の藻屑と化す予定になっている野村である。
といいたいところではあるが、実際取り囲まれているのはその影武者を務める俊春である。
「利三郎は?」
蟻通がちかづいてきた。
かれに無言のまま、目線でしらせた。
本物の野村は、副長に文字どおり首根っこをおさえられている。
いまは、副長と伊庭にはさまれた状態である。
どうやら、副長は人見と話をしているようだ。
その周囲には、島田、中島、尾関に尾形、さらには俊冬と相棒ががっつり取り囲んでいる。
本物の野村は、まるで重要参考人みたいだ。
そこまでしないと、野村を連れてゆけないってところが草すぎる。
それは兎も角、相棒の乗船許可はすんなりおりた。
海軍奉行の荒井も回天の艦長である甲賀も、大の犬好きであった。しかも、相棒の噂をきいているらしい。
「どうぞどうぞ」
二人とも、ソッコーで快諾してくれた。
というわけで、犬連れで出陣というわけである。
今回の海戦は、世界的規模でみても稀有な接舷攻撃を繰り広げることになる。
しかも、その船にはこの時代にはまだ交配されていないジャーマン・シェパードが乗船しているとなると、二倍にも三倍にも稀有であるといえよう。
号令以下、乗船が開始された。
子どもらは、相棒だけでなく俊冬ともハグをしている。
でっおれには……?
「じゃあね、主計さん」
「怪我、ひどくないといいよね」
市村と田村は、ちっともそう思っていないのにそんなふうに声をかけてくれた。
総裁たる榎本からも激励の言葉があり、いよいよ出航である。
朝一番は晴れ上がっていた空も、あっという間に雨雲におおわれてしまった。
大粒の雨が、シトシトと落ちてきている。
それももうじき、すごい暴風雨になるだろう。
そんな雨のなか、陸にいるみんなは必死に手を振ってくれている。
もちろん、おれたちもそれにこたえて必死に振る。
「任せておけっ。漢野村利三郎っ、立派に死んでみせるぞーーーーっ!」
そう陸に向かって叫んだのは、本物の野村である。
かれを、無事に乗船させることはできた。
が、いきなりの『立派に死んでみせるぞ』宣言である。
「ばっ、馬鹿野郎っ!縁起でもないことを叫ぶんじゃない」
その野村の口を、副長が慌ててふさいだ。
野村が死ぬなんてこと、ほかのだれがしっていよう。
それを、『死んでみせる』って……。
フツーにアウトだろうが。
さらには、死なないし。
いまのだったら、まるで影武者役の俊春に死ねと強要しているようなものだ。
野村は、誠に自分勝手な男である。
陸がみえなくなって沖にいたった時分には、雨だけでなく風もでてきた。当然のことながら、波もたちはじめている。
揺れが激しくなってきた。
人差し指の先で、慌てて耳のうしろをぐりぐりまわした。
「ここにいても役に立たぬしな。下に降りて横になったほうがよさそうだ」
「そのようですな」
副長と島田が話をしている。
伊庭にあらためて説明した。
暴風雨になること、そのせいで蟠竜とはぐれてしまうこと、などなど。
「みんな艦に慣れていませんからね。時化れば艦は大揺れします。船酔いしないよう、はやめに自衛したほうがいいでしょう?」
「言の葉は悪いかもしれぬが、将来のことがわかっていたら便利なこともあるな」
伊庭はそういってから、慌てたようのおれと視線を合わせた。




