にゃんこと今井
俊冬がフランス語で声をかけると、フランス軍兵士たちが自国語でいっせいになにかわめきはじめた。
今井ら幕臣たちも負けてはいない。
副長の姿をみたとたん、なにゆえか副長をディスりだしたではないか。
それにしても、言葉がわからない者どうしでよくも口喧嘩できるものだ。
ある意味感心してしまう。
副長は、今井の相貌をみただけでテンションが下がったようだ。
うん。わかります。
今井なら、口喧嘩でも殴り合いでも勝手にどうぞ、っていいたい。
今井をはじめとした幕臣たちは、口々にわめいている。
あいにく、副長もおれも島田たちも、聖徳太子ではない。ゆえに、それぞれの言葉をききとれるわけもない。
しかし、おおよその察しはつく。
フランス軍士官たちが侮辱した。だから、非を唱えたというようなところか。
あるあるすぎる。
こうした場だけではなく、いろんなシーンでよくあるパターンだ。
「今井君、どうしたんだね?」
そのとき、人垣をかきわけてあらわれたのは、今井の直属の上司であり衝鋒隊の隊長を務める古屋である。すぐうしろに、軍服ではない白色のシャツにズボン姿の男を伴っている。
その男と視線があった。向こうが軽く目礼をよこしてきたので、こちらも目礼を返した。
すぐにピンときた。ウィキには晩年の写真しか載っていないが、穏やかで知的な顔つきは古屋の実弟にしてこの箱館政府で箱館病院の院長を務める高松凌雲その人にちがいない。
かれは、赤十字運動の先駆者ともいわれている。
なんとなくだが、蘭方医にして将軍の侍医も務めていた松本法眼と雰囲気が似ている。
もちろん、性格はちがうだろう。
医師、というくくりにおいての雰囲気である。
「こいつらが無礼を働いただけです」
今井は、そういってフランス軍士官たちを指さした。が、視線は副長にぴたりとすいついていてはなれない。
いまのだと、フランス軍士官だけでなく副長も無礼を働いたように受け取れる。
副長の眉間の皺が、よりいっそう深く濃くなった。
「今井君……」
古屋の眉間にも皺が刻まれた。
かれは、すでに『今井』という男がどういう男かわかっているのだ。
「ほかの隊や、ましてや仏蘭西軍士官たちと揉め事をおこしてもらっては困る。かれらは、われわれの協力者だ。協力してくれているのだ。この意味がわかるかね?」
古屋は、まるで三歳児にいいきかせるように注意深く丁寧な口調で語りかけた。
「協力者であろうと上役であろうと、武士を愚弄したのだ。それは、話は別だ」
にべもない。
ってか上役ってところで、かれの非隣人愛の対象がフランス軍士官から副長に転嫁してしまったようだ。
「かれらはそうは申しておらぬぞ、下種野郎」
俊冬が鼻を鳴らしてからいった。
俊冬は、今井のまえでは将軍家の隠密で通しきるつもりらしい。しかも、今井のことを『下種野郎』認定している。
「なんだと?」
「なんだと?」
今井はさらに気色ばんだ。体ごと俊冬のほうに向いて叫んだ。
俊冬は、冷静にその今井のコピーをした。
声真似だけでなく表情まで似ていたので、周囲にいる野次馬たちから笑声がもれた。
そのとき、榎本や大鳥、それからブリュネらも騒ぎをききつけやってきた。
「異国語というのは、悪口雑言ほど覚えやすいものなのだ。かれらのなかの数人は、『これだから毛唐は』と貴様らがいい、せせら笑っているのをはっきりときいておる。かれらは、それに抗議したまでのこと。この騒ぎは下種野郎、貴様が火種であってかれらではない」
俊冬の糾弾に、今井は瞬時にして逆ギレした。
「ちがう。こやつらがわれらをみてせせら笑ったのだ」
「下種野郎、愛想笑いというのをしらぬのか?いや、失礼。しっておるはずだな。なにせ、貴様はお偉いさんにそうやって取り入っておるのだから」
俊冬は、よほど今井のことが気に入らぬようだ。
大石鍬次郎への対応とおなじである。
大石は、元新撰組の隊士である。「人斬り」を自称していた。実際、副長は斎藤のかわりに大石をつかって文字どおりブラックなことをさせていた。
斎藤をはじめとした誠の「人斬り」とちがうのは、大石が人を斬ることが大好きというところである。
いわゆる『サイコパス』である。
しかも、根性がババ色であった。
そんな大石に、俊冬は容赦しなかった。びびらせまくり、恥をかかせまくった。
史実どおりにゆけば、来年、かれはおねぇこと伊東甲子太郎殺害の罪で斬首されることになる。
悪いが、かれを助ける術はない。
それは兎も角、その大石同様に今井に容赦のない俊冬は、今井を責めつづける。




