隣の人も遠くの人も愛せない男
その夜、榎本総裁主催の壮行会がひらかれた。
明日、宮古湾へ出撃する全将兵はもちろんのこと、出撃しない将兵もあつまった。それだけでない。日本人や異人を問わず、外部から豪商などのスポンサーや協力者も多数招かれた。
ちょうど雨の谷間であったこともさいわいした。
おおくの人々があつまってくれた。
場所は、松前城の大広間をぶち抜いて拡張してつくった臨時の会場である。
当然のことではあるが、壮行会にでている飲食物をはじめとした物資も、スポンサーなどの懐からでている。つまり、スポンサー自身が、とりあつかっている商品を準備して提供してくれたというわけだ。
壮行会の形式は、現代っぽく立食パーティーである。
というのも、もともとこの大広間は畳の部屋であった。それをとっぱらい、立ったままで何かができるよう、洋式の間にかえたのである。
あいにく、全員が座るには椅子やテーブルが足りなさすぎる。くわえて、参加者すべてが正座なり胡坐をかけるだけのひろさもない。
物理的な要因で、立食パーティーにせざるをえなかったわけである。
立食パーティーという今の日本にはない様式を提案したのは、おれたちである。
おれたちというのは、これまた当然のことながら俊冬と俊春とおれである。
洋式チックに立食パーティーとはいえ、提供されている食事は洋式ってわけではない。
コック帽にコックコート姿のシェフが、十勝牛のローストビーフを切り分けてくれたり、鉄板で五センチ強の厚さのステーキをパフォーマンスをまじえながら焼いてくれるわけではない。
旅籠の夕餉や朝餉にでてくるおかずが大皿に盛られ、テーブルの上に並んでいる程度である。
それと、塩むすびも。
それでも、日頃は粗食に耐えている将兵にとってはごちそうである。
みんな、おおよろこびで喰っている。
新撰組の隊士として、市村と田村、それからいまは新撰組の隊士扱いになっている沢と久吉も参加している。
かれらもよろこんで喰っている。
壮行会の冒頭に、榎本と海軍奉行の荒井、つづいて陸軍奉行の大鳥がそれぞれ激を飛ばし、それからは料理をひたすら喰った。
料理は、あっという間になくなった。とはいえ、よほどの大食漢でないかぎり、ほとんどの将兵は腹いっぱい喰えたであろう。
それからやっと、落ち着いた。
呑み喰いがおわれば、あとは駄弁るしかない。
というわけで、歓談の時間となった。
日頃、接触しないような隊の将兵とコミュニケーションをとるには、これはいいチャンスかもしれない。
隊の垣根をこえ、将兵たちは談笑している。
事件は、そんなひとときのなかでおこった。
突然フランス語の怒号がおこり、つづいて日本語の怒号がおこったのである。
わりと騒がしかった会場が、その二つの怒号で一瞬にして静まり返った。
怒号は、それだけではない。さらにつづいている。
それどころか、だんだん激しさを増していくようだ。
「揉め事のようです」
俊冬が副長に告げた。耳のきこえない俊春も、不穏な空気を感じてそちらのほうに視線を向けている。
相棒は、さすがにこの会場に入ることはできない。それでも、壮行会がはじまるまえに俊春が厨で飯とみそ汁とでぶっかけ飯をつくり、それに沢庵をそえてだしてくれた。
いまごろきっと、相棒は会場のすぐちかくでぐっすり眠っているであろう。
「放っておけ。新撰組の隊士がかかわっているのなら兎も角、関係のない者が揉めているのなら、なにもおれがしゃしゃりでる必要もなかろう」
副長はそういったが、結局しゃしゃりでなければならなくなった。
揉めているのが、明日出撃する者どうしだったからである。
榎本が副長のもとに士官をよこし、丸くおさめろという。
おろらく、俊冬と俊春が通訳できるということもあるのであろう。
「ちっ!人づかいのあらい人だ。っていうか、なにゆえおれが尻拭いをせねばならぬ?だったら、総裁たる自身がすべきだろうが。ええっ?」
副長がくさるのは当然だ。それに、そのとおりでもある。
ここは、榎本自身がおさめるべきなのだ。そのほうが、かれ自身の株があがる。
しかし、かんがえようによっては、副長がおさめることで副長の株をあげることができる。
そのことに、副長自身も気がついたようだ。
「仕方がない。ぽちたま、頼む」
「承知」
副長はおれにニヤッと笑ってみせると、俊冬と俊春に声をかけて騒ぎのほうへとあるきだした。
俊冬と俊春がまえに立って人の波をかきわけ、そのうしろを堂々とあるいてゆく副長は、じつに貫禄がある。
そうと気がついた将兵たちは、すぐに左右にわかれて三人に道を譲る。
将兵たちは、イケメンの副長と俊冬、それからかっこかわいい俊春をみ、名をしらずともその威容に羨望の眼差しを送っている。
おれたちは、その副長のあとにつづいた。
おまけ感がぱねぇ。
ちかづくにつれ、おおよその事情はわかった。
騒ぎの元凶のフランス軍側は、この戦いを発案した士官候補生のニコールやクラトーほか屈強なフランス軍の脱走兵たちである。そして、日本人側は、新撰組の天敵であるといっても過言ではない、今井を筆頭とした幕臣たちのようだ。
今井は、隣人を愛せないばかりか遠い国からやってきた異国人を愛する度量ももちあわせていないらしい。




