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熊騒動の一夜はすぎて……

「なにかあったのか?」


 副長もまた、周囲同様それを感じているようである。


 俊春にそう尋ねた声に、緊張がにじんでいた。


 俊春は副長に視線を向け、無言でうなずいた。


 それからかれは、副長の懐にはいる手前で歩をとめた。同時に、右掌をさしだす。


 なにこれ?


 俊春の掌に、毛のようなものとちいさな布切れがのっかっている。


「熊から、人間ひとの血のにおいがしました。だからというわけではありませんが、熊の頸をひねって一思いに殺しました。よくみると、熊の掌にこれらがくっついていました。おそらく、将兵のだれかがあの熊に襲われたと推察します。熊は、腹部に一発喰らっています。拳銃の弾丸たまです。襲われただれかが、所持する拳銃を発射したにちがいありません」

 

 その報告に、みんながたがいの相貌かおをみあわせた。


 たしかに、拳銃チャカ弾丸たまならアイヌの人々や地元の猟師の可能性は低い。そういった人たちは、銃をつかうからである。ゆえに、軍人の可能性のほうがはるかに高い。


「熊は、獲物を埋める習性があります。おそらく、襲われた者はどこかに埋められているでしょう。いまからおれたちで探してきます」


 俊冬が合図を送ると、俊春と相棒が当然のことのようにうなずいた。


「副長。部屋は、たいして壊れませんでした。ですが、熊自身と熊に付着している人間ひとの血で床が、血まみれになっています。それと、においが……。血と獣のにおいが充満しています」

「よかったですね、副長。部屋を掃除したら、使えるようになるんじゃないですか?」


 俊春の報告をきき、副長を元気づけてみた。


「なんだと?おまえはおれに、かような血まみれで臭い部屋にいろっていうのか?」


 それなのに、副長はおれに噛みついてきた。


 おれが熊を招待したわけでも誘ったわけでもない。

 それなのに、なにゆえおれにあたるのか?


 理不尽もいいところじゃないか。


「わんこ、熊をアイヌの人たちに渡そう。おれたちで調理をしてもいいが、味方のだれかを殺して喰った熊を喰うというのも、気持ちのいいものではないだろうから」


 俊冬の言葉で、この場にいる士官たちが身震いした。


 たしかにそのとおりである。


 味方のだれかを喰った熊を、いくらなんでも喰う気にはなれない。


 俊春は、軍服が汚れるからと上半身裸になった。そして、でかい熊を赤子のように背負った。


 そして、三人・・は去っていった。


 そのあと、副長の命令で部屋の床を拭いたり磨いたりしてみた。においに関しては、芳香剤がない。当然のことながら次亜塩素酸もない。換気をしまくったりあおいでみたりしてみた。


 そんな努力もむなしく、血の跡も獣の臭いもとれなかった。


 結局、副長はちがう部屋をあてがってもらった。


 俊冬と俊春と相棒は、松前城からすこしはなれた林の中で埋められている死体をみつけた。


 死体は、かなり損傷の激しい状態であったらしい。

 それこそ、だれなのかまったくわからぬほどにである。


 軍服から判断すると、士官クラスではなく兵卒ではないかということだ。


 その気の毒な兵卒は、だれだかを特定するようなものはなにも所持していなかった。


 拳銃チャカは、持ち主が埋められているちかくに落ちていたらしい。


 どこの隊の何という名かもしれぬ兵卒の死体は、近くの寺に運んで供養してもらったという。


 そして、熊の死体はアイヌの人たちに渡したということだ。


 とんだ熊騒動の一夜であった。




 いよいよ、宮古湾への出撃が明日に迫った。


 称名寺から島田や蟻通たちがやってきた。


 新撰組の指揮は、元桑名藩士の森がとってくれるという。


 子どもらもやってきた。

 安富も出陣するため、松前城にいる馬たちの面倒を沢と久吉と共にみるためである。


 その子どもらの面倒は、沢と久吉がみてくれる。


 子どもらは、上機嫌である。


 いつもはまったく参加させてもらえないのに、今回は馬の面倒をみるという体を動かして働くという大役を仰せつかったわけである。


 前回の五稜郭攻略の際の桑名少将の護衛というよりかは、よほど価値がある。

 子どもらは、そう判断したらしい。


 子どもらは子どもらなりに、桑名少将の護衛というのがただのごまかしであったことを見抜いていたのだ。


 かれらは、護衛の任務を与えられて喜ぶふりをしていたわけだ。


 子どもたちは、かれらなりに気を遣っているのである。


 それはそうと、意外なのは安富である。

 よくもまあ、馬たちとしばしのお別れを決意したものだ。


 当然、今回の海戦に馬は必要ない。ゆえに、安富は残るだろうと思いこんでいた。それは、副長も同様である。



 まさか、かれが参戦するとは思わなかっただろう。


 意外に思った副長が、安富に尋ねたそうだ。


『なにゆえ、馬を必要としない海戦に率先して参加するのか』


 そんなふうに尋ねたわけである。


『利三郎が死ぬのであろう?死にっぷりをみずにおられるか。いかなる死にざまか、愉しみでならぬ』


 すると、かれはそういって大笑いしたという。


 いや、安富。野村は死なないし。


 俊春が野村の影武者を務めると説明するも、


『史実どおりになるやもしれぬであろう?』


 そういってを輝かせていたそうだ。


 そんなに野村の死にっぷりをみたいのか?


 安富のかんがえていることがよくわからない。


 無理くりに参戦するのは、なにも安富だけではなかった。


 そのとき、おれたちは新しくあてがわれた副長の部屋で打ち合わせをしていた。

 

 そこにやってきたのである。


 そう。その人が、である。

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