ちょっと訪問してみました
「残念だけど、ぼくには熊のかんがえていることはわからない。とりあえず、怖いのできみにくっついてみた」
大鳥のしれっとすぎる返答に、副長の眉間の皺がめっちゃ濃く刻まれたのはいうまでもない。
「いまはそんなこと、どうでもいいじゃないですか。とりあえず逃げませんか?」
熊は前脚を板張りの床につけ、頭部をさげている。
熊を刺激せぬよう、小声で直属の上司とそのまた上司にツッコんだ。
ツッコみながら、ドアのほうへとじりじりと後退する。
「なにゆえ熊がおれの部屋にいるんだ」
「だから、それはわからないよ。熊にきいたほうがいいのではないかい?」
「あんたに尋ねたんじゃな……」
大鳥の呑気な声音に、副長がキレた。
副長は、怒りのあまり室内だけでなく建物中に響き渡るほどの大声をだしてしまったのである。
と同時に、熊の頭部があがった。そればかりか、前脚を床からあげて立ち上がった。
で、でかっ!
縦にも横にも斜めにもでかすぎだろっ!
「副長がデカい声で刺激するからですよ」
「かようなことはどうでもいい。逃げろ」
って怒鳴りあってはいるものの、脚はちゃんと動きだしている。
副長と大鳥と三人でドアに殺到した。
「どきやがれ」
「副長こそ、どいてください」
「熊がすぐうしろにーーーーっ!」
だれかの掌がドアノブにあたったのか、はたまたつかんだのかはわからない。兎に角、唐突にドアがひらいた。団子状態で廊下にでた。それから、倒けつ転びつ廊下を駆けだした。
だれもいない廊下を駆けているが、餓鬼のときにみた「なにかに追われている」ときの夢のように、ちゃんと脚を動かすことができない。しかも、廊下がムダに長い気がする。
いますぐにでも、熊の掌が背中の肉をえぐりそうだ。
そんな恐怖心と戦いながらも駆けに駆けた。
「ちょっとまって」
急に大鳥がおれの軍服の裾をひっぱった。つんのめってしまったのを、まえに倒れないようかろうじてもちこたえた。
「追いかけてこない」
おそるおそる振り向くと、大鳥のいうとおり廊下は無人である。熊も人間もいない。
「くそっ!なら、おれの部屋にいるってことであろう?」
副長もとまって振り返っている。
「おかしいですね。獣って、フツー逃げるものを追いかけると思うんですけど」
「追いかけられなくってよかったじゃないか、主計君。さて、どうする?」
「おれの部屋が占拠されているんだ。取り返すにきまっているだろうが」
「きみはたしか、松前城だけでなく宇都宮城も占拠しなかったかい?」
「あ、ああ。宇都宮城にいたっては、すぐに奪還されたが……」
「「鬼の副長」の矜持にかけて、ぜひとも奪還すべきだよ」
「ああああああ?あんた、他人事だと思ってよくもかようなすっとぼけたことをいえるな」
「当然さ。占拠されているのはぼくの部屋じゃないからね」
大鳥さん、そういう問題じゃないですよね。熊がこの建物内にいるってことがマズいでしょう?
と、そのとき、耳に息を吹きかけられた。
「ぎゃああああああっ!」
「ひいいいいいっ!」
「ひえええええええっ!」
悲鳴をあげてしまった。
そのおれの悲鳴に驚いた副長と大鳥も、思いっきり悲鳴をあげた。
いまの悲鳴三重奏に気がついたらしい。各部屋のドアがつぎからつぎへとひらいてゆく。
「ちょちょちょちょ……。たま、なにをするんだ?」
いつの間にか、俊冬がすぐうしろに立っていた。
いつものいじりってやつだ。おれの耳に「ふっ」と息を吹きかけたのである。
「『なにをするんだ?』だって?あまりにもきみの耳が無防備だったので、つい「ふっ」ってやりたくなっただけさ」
「あ、あのなあ、フツーするか?ってか、なんでここに?」
心臓のどきどきがおさまったので、あらためて振り返ってかれらをみた。
俊冬も俊春もずぶ濡れになっている。相棒もいる。相棒も黒色の毛皮が濡れまくっている。
「鍛錬をしようと山に向かったら、アイヌの人たちに出会ったんだ。穴持たずの熊を探しているというんでね。かなり凶暴で、仕留めることができないらしい。それで、三人で熊のにおいをたどった。するとどうだい、ここまでもどってきたってわけさ」
俊冬がにこやかな笑みとともに答えた。
「ポケ○ンGO」をやっていて、ここに『ポケ○ン』がいるのを発見したみたいにうれしそうな表情をしている。
「きみたちは、傘をささないのかい?ずぶ濡れじゃないか」
まだ状況を把握しきれていないおれの横で、大鳥が驚きの表情で尋ねた。
「いや、大鳥先生。そこじゃないですよね?」
副長のことを非難できない。
上司のそのまた上司である大鳥に、またしてもツッコんでしまった。
「いいときにきてくれた。さすがは「主計を護りし者」たちだ。護るべき対象とはくらべものにならぬほど頼りになる」
「副長、こんなときに嫌味ですか?だいたい、おれに熊を倒せるだけの力があれば、かれらに護ってもらう必要なんてこれっぽっちもありません」
副長の双眸のまえで、親指のさきっちょに人差し指をつけて「ちょっぴり」を示しながら嫌味返しをした。




