クマですが、なにか?
「土方君、落ち着いて。怪談話なら、まだ時期ははやいよ」
大鳥は、すたすたと窓へ歩をすすめた。
なんと。
かれは、ちっさいわりには度胸があるんだ。
あっ、ちっさいは余計なことか。
雨粒が窓ガラスをたたく音が、静まり返っている室内にいやにおおきく響き渡る。
「どれどれ」
大鳥は執務机をまわって窓のまえにいくと、躊躇せずそれに掌をのばした。
まさか、開けるとか?
度胸ありすぎだろう?
窓の向こうにいるのが幽霊の場合、フツーに怖すぎる。
が、窓の向こうにいるのが人間の場合、これはこれでフツーに怖すぎる。
なぜなら、この暴風雨のなか、窓の外に立っているなんてフツーじゃなさすぎるからである。
「あ、あの、大鳥先生。窓を開けるんですか?」
「そうだよ。だって、当然じゃないか。開けなければ、窓の向こうになにかがいるのか否か、わからないよね?もしもなにかいるのだったら、幽霊なのかどうか確認してみないと」
「怖くないのですか?」
「怖いさ」
かれは頸をひねり、横顔をみせた。
「怖いけど、それよりも好奇心が勝っているからね」
「はぁ……」
かれは、「好奇心は猫を殺す」というイギリスのことわざをしらないのだろうか。
それとも、怖いものみたさってやつなのか。
まぁ、大鳥らしいといえば大鳥らしいといえるかもしれない。
「ではでは」
かれの掌が、いままさしく窓にかかって……。
かれが引き戸タイプの窓を、力任せに開けた瞬間である。
「ひええええええええっ!」
小柄な大鳥の体が、文字どおり飛び上がった。って視覚した刹那、かれもまた執務机を飛び越し、長椅子とローテーブルをも飛び越した。そのままおれに、ではなくおれに抱きついている副長に抱きついたのである。
大鳥の悲鳴と大鳥に抱きつかれたショックで、おれの頸をしめる副長の掌の力がさらに強くなってしまった。
「ぐ、ぐる……」
マジで息ができない。
空気を求めようにもそれすらできない。
そんな苦しみのなかでも、瞳だけ動かして窓をみてみた。
窓の桟に、黒くてもふもふしたなにかがよりかかっている。
そうと認識した瞬間である。
そのもふもふの頭部らしきものが動いた。
「ぐ、ぐ、ぐまーーーーっ?」
身をよじっても逃れられない。
窓のすぐ向こうにいるのは、熊である。たしかに、あれは熊以外のなにものでもない。
「プー○ん」とかおれの大好きなゆるキャラの「く○モン」っていう、ゆるくてほのぼのとした類の熊ではない。
ガチの羆である。
そのときやっと、副長の掌がおれの頸からはなれた。
ってか副長、気絶してる?
「お、大鳥先生っ!に、逃げましょう」
って提案したものの、羆から逃げおおせるわけもないんじゃないのかって疑問に思ってしまった。
熊は、意外と身軽である。はしるのだってめっちゃはやい。
本気をだせば、窓など簡単に飛びこえて室内に乱入できる。さらにはおれたちが廊下にでてダッシュしようものなら、すぐに追いかけてきてあっという間に追いついてしまうだろう。
ならば、死んだふりをする?
っていろいろかんがえている最中でも、副長は恐怖要因でいっちゃったまんまだし、大鳥はその副長を抱きしめたまんま反応がない。
う、動こうにも動けない。
いやいや。大鳥に関しては、どさくさにまぎれて副長に抱きつきたいだけ?って勘繰ってしまっているのが正直なところではあるが。
そのとき、熊がもそりと動いた。室内の淡い灯火では、黒い毛のなかにある双眸がよくみえない。だが、その双眸は確実におれたちをとらえている。
そうだ。こうなったら副長を抱えていったん廊下にで、ちがうだれかの部屋に飛び込むしかない。
もっとも、熊は鼻もきく。しかも、羆は当然のことながら怪力の持ち主である。鉄扉なら兎も角、木製の扉など、腕を軽くはらっただけで簡単にぶっ壊してしまうだろう。
いまの時点では、熊の頭部と肩くらいまでしかみえていない。だが、そのおおきさだけでも二メートルちかくあると推測できる。
そのくらいおおきく感じられる。
「大鳥先生、いきましょう。逃げるんですよ」
熊を刺激せぬよう、ささやいた。
そのときまた熊が動いた。
刹那、窓の向こうからジャンプしたのである。
体を器用にねじって室内に踊りこんできた。
この巨体で音もなく床に着地をするところなど、熊界のアクションスターか忍びの者っていってもいいかもしれない。
ってかそんな悠長なことをいってる場合か、おれ?
「ななななな、な、なんだこりゃ?」
突如、副長が怒鳴った。
どうやら、気絶から覚醒したらしい。でっ、幽霊ではなく熊を認めたらしい。
ってか、正直幽霊のほうがまだよかったのではないかって思うはずである。
「熊だよ、土方君」
副長にいまだ抱きついたままの大鳥が、めっちゃ冷静に教えた。
いや、大鳥さんよ。それは、みたらわかります。
「熊ってのはわかっているんだよ。なにゆえ、熊がここにいるのかってことだ。ってかあんた、おれにくっつくんじゃない。はなれろ」
よかった。いつもの副長にもどったようだ。
上司である大鳥にフツーに塩対応するところなど、フツーのときの副長である。




