榎本総裁のお呼び出し
副長は、俊冬と俊春が語りかけている間は一度も言葉を発しなかった。
ただ、怒っているわけではないのに眉間に皺をよせ、考え込んでいる感じがした。
かれらの暗示がきいていれば、なんて贅沢はいわない。
ほんのわずかでも、副長の心に響いてくれれば、と願わずにはいられない。
結局、伊庭は無言でうなずいただけである。
そのうなずきが肯定なのか否定なのか、残念ながらおれにはよむことができなかった。
ついでに、蟻通も同様である。
いずれにせよ、かれらは今日明日というわけではない。
これからいくらでも説得、もとい暗示をかけるチャンスはいくらでもある。
そして、おれが伊庭と剣術勝負をちかいうちにやろうと約束をしたところで、スイーツオフ会は終了した。
新撰組は、市中取り締まりをおこなっている。
箱館にきた当初から、称名寺という寺を本陣としている。
おれ自身は、副長の補佐として松前のほうにいることのほうがおおい。だが、たまにみんなに会いにかえったりする。
かえるというのも、実際はおかしな話かもしれない。まぁ「場所」にかえるというよりかは、みんなの「元」にかえるというほうがいいかもしれない。
俊冬と俊春は、あいかわらず動きまわっている。
本土にいる敵の様子を物見するのはもちろんのこと、蝦夷を開拓している隊の様子をみにいったり、これから戦地になる予定の地域を調べにいったりと、ちっともじっとしていない。
たまに松前にいるなと思いきや、そういうときは極秘特訓にいそしんでいるようだ。しかも、地獄や悪魔界すら天国に思えるほどのつらく厳しい鍛錬をしているという。
ストイックさもここまでくればなんとやら、であろう。
春までまだまだ、っていうある日、榎本総裁に呼ばれた。
個人的に、ではない。
呼ばれたのは、副長である。
俊冬と俊春とおれは、副長のお付き役として参上した。
榎本のもとへ集まったのは、ほかに大鳥と榎本の副官を務めていて、開陽丸座礁、沈没後は開拓奉行に就任している澤である。
おれたちがいったときには、すでにミーティングがはじまっていた。
榎本の部屋も洋風であるが、副長の部屋よりもひろく、椅子や机、テーブルや長椅子までそろっていて、十名程度のミーティングであればヨユーでできる。
「土方君」
「土方君」
副長が榎本の部屋のドアを開けるなり、黄色い声が飛んできた。
『土方君』のうしろに、ハートマークがみえるくらい、いまの二人の声ははずみまくっていた気がする。
「さあさあ、入れ入れ。どうだい、一杯やらねぇか?」
榎本は、サイドテーブルっぽいちいさなテーブルにちかづくと、その上にある葡萄酒の壜を持ち上げ軽く振ってみせた。
「ああああ?打ち合わせではないのか?それに、おれは酒はやらぬといったはずだ」
副長は、ソッコー拒否った。
「たしかに、打ち合わせさ。しかし、酒が入った方が頭がすっきりするんだよ。それに、舌のまわりもよくなる」
いまの榎本の言葉は、いったいどういう理論なんだ?
舌のまわり方というのはアリかもしれないが、頭がすっきりするなんて、フツーありえるのか?
「断るったら断る。呑むんだったら、打ち合わせがおわった後にでも大鳥さんと呑めばいいだろう」
副長は、断固拒否のかまえである。
しかも上司、もとい上役にたいして、なんたる態度、対応なんだ?
「まったく。きみは、遊び心ってもんがないねぇ」
「すくなくとも、あんたらにたいしてはない。兎に角、さっさとやってくれ。おれは忙しいんだ。このあと、約定があるからな」
いまの副長の約定、というのは嘘ではない。
称名寺にいき、ひさしぶりに新撰組とすごすのである。
「わかったわかったよ」
榎本は、そういいつつさっさと葡萄酒をあけて注いだ。しかも、湯呑みにである。
ワイングラスというものの存在をしる俊冬と俊春とおれは、思わず眉をひそめてしまった。
「おっと、気がきかなかったな。きみたちのも……」
「こいつらも呑まぬ」
榎本はおれたちが眉をひそめた要因を、葡萄酒をついでもらえなかったことによるものと勘違いしたようだ。
かれがおれたちをみまわしながらいってくれたが、またしても副長が拒否った。
ふむ。好んで呑むわけではないが、上役から勧められれば呑まないわけではない。
「そうなのか?存外、新撰組は生真面目なんだねぇ。ほら、大鳥さん」
「メルシー」
大鳥は、フランス語で礼をいいつつ湯呑みを受け取った。澤も仕方なさそうな表情で受け取っている。
それから、三人で同時に湯呑みをあおった。
「タコノマクラのことだ」
「タコノマクラ?」
榎本の口から唐突にでてきた単語に、副長と俊冬と俊春とおれが同時にきき返した。




